京つう

日記/くらし/一般  |滋賀県

新規登録ログインヘルプ



CATEGORY:森下仁丹看板

2007年01月25日

仁丹町名表示板 姉小路通富小路西入

仁丹町名看板が、ほぼ全滅状態に近い姉小路通で二枚目の仁丹看板を発見しました。

簡単なところにあったのに今まで気づかなかったのは、

姉小路通を西から東へ通ることは多いのですが、

この仁丹看板は東から西へ走らないと見つからないのです。

御池通の一筋北が押小路通。一筋南がこの姉小路通。

御池通を挟んで北と南で、こうも仁丹看板の生息率が違うのも、すごいところです。

その押小路通は仁丹看板の宝庫なのです。

あるは、あるは、あの木製仁丹看板も存在している通りです。

そんなに細い路地(ろうじ)でもない道に、木製が残っているのは珍しいパターンです。

でも、この姉小路通の壊滅状態は、なんでなんで??ですね。

繁華街・三条通に近いということが、災いしているのでしょう。

姉小路通、只今2匹の生息を確認であります。

仁丹町名表示板 姉小路通富小路西入


同じカテゴリー(森下仁丹看板)の記事画像
平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
同じカテゴリー(森下仁丹看板)の記事
 平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見 (2011-03-14 22:19)
 船はし屋さんで、仁丹町名表示板! (2011-02-16 22:34)
 京都まち歩きマップ (2011-02-11 12:00)
 復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置! (2011-02-10 22:08)
 京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」 (2011-01-18 22:56)
 「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動 (2010-12-21 22:13)

Posted by ずんずん  at 13:18 │Comments(5)森下仁丹看板

COMMENT
はじめてコメントさせていただきます。ずんずん様はじめ、皆様の仁丹看板情報、いつも楽しみに読ませて頂いておりました。私も最近家の柱ばかり見て歩いております。


姉小路、今日寺町から堀川近くまで歩いて来たのですが、南側をご覧になりながら歩かれると麩屋町、富小路のほか柳番場あたりにも一つあったように思います(すみません、通りをちゃんと確認しませんでしたが一つは1階です)、それと少し離れて衣棚にも一つあると思います。全部南側です。ご確認頂ければ幸いです。
また何か見つけたら書かせていただきます。
Posted by idecchi_2006 at 2007年04月30日 20:21
>idecchi_2006さん
はじめまして、ずんずんです。
コメントいただきありがとうございます。
なんと、”姉小路通情報”まで感激です。
柳馬場と衣棚、早速チェックしてみます。

ひょっとすると、柳馬場の看板は、これかもかも…
2006年08月23日
人見知りの激しい町名表示板たち
http://zunzun.kyo2.jp/e3591.html
Posted by ずんずん at 2007年05月01日 00:16
ずんずんさん

今回は、この看板について悔しいコメントを…。

半月程前にこの看板の前を通ったら、内装の工事をしていました。
まぁ、建物は壊さないだろうと考えてその時通り過ぎました。
中で、工事をしている大工さんはいました。
そして、1週間が過ぎて前を通ったら工事中でした。当然、中で作業しておられる大工さんはいます。その時も看板を確認して帰りました。
で、1週間が過ぎて様子を伺いに行ったら、何と! 外壁を塗り直してしまっていて看板は消滅していました。目の前で見ていながら、中の大工さんに声をかけなかったのを悔やみました。内装だけやと考えたのが間違いでした。
町家再生を侮ってはダメやと云う事をつくづく感じました。まぁ、ここ1ヶ月程は建物全体を撮るようにしたのですが、この看板も建物全体を撮っておいてたから良しとします。

悔しい反面、嬉しい事もあり「西ノ京池ノ内町」の2枚目を発見しました。以前に探索した地域でしたが、改めてまだまだやなと感じました。
水谷氏のリストには、「西ノ京池ノ内町」は3枚とありますが、もう1枚ってあるんですかね?
Posted by でな at 2010年07月05日 13:15
ずんずんさん

↑上記のコメントは、でな桜でした。
Posted by でな桜 at 2010年07月06日 09:10
でな桜さん、”でな”でも充分わかっちゃいますよ(笑)
『姉小路通富小路西入菊屋町』の看板が消滅は寂しいですが、現状の変化という貴重な情報をありがとうございます。
先日、shimo-chanさんとの話の中で、最近の仁丹看板を大切にする行動には2種類のパターンがあるね、ということがありました。
一つは、改築改装する機会に、設置されていた看板を剥がして仕舞い込んだり、屋内に貼り直すというケースです。
もう一つは、今まで剥がして仕舞い込んでいたものを、あらためて二階軒下の柱に設置しなおすというケースです。
両者の結果は、まったくの真逆なのですが、仁丹看板にある一定の愛着を感じ、仁丹看板が京都の町に似合うファクターだという認識が出てきている結果であると感じます。

それから、「西ノ京池ノ内町」ですが、未整理のごみアーカイブ箱をあさると、2枚はありました。
ただ、全部見ていないのでわかりません。中途半端でごめんなさい。

また面白い情報ありましたら、よろしくお願いします。
Posted by ずんずん at 2010年07月06日 16:57
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。