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CATEGORY:山王祭・日吉大社

2009年09月06日

比叡山延暦寺に山王神輿御神幸



22年振りに日吉大社の山王神輿が比叡山延暦寺に上がった。

7基ある神輿の内、西本宮の大宮神輿が、
去る、8月11~16日まで根本中堂の中庭に奉安された。

この度の比叡山御神幸は、大津市の10社寺でつくる湖信会が結成50周年を迎え、
それを記念してのことである。

もう最終日直前となった15日の朝一番、延暦寺に入った。
この日までは夜間ライトアップがあったので、照明に輝く山王神輿というのも捨てがたかったが、
安全パイをとって撮影の簡単な昼間を選んだ。





根本中堂は国宝なので、入口から一歩踏み込むと撮影は禁止されている。
受付の方に確認を取って、下足場のギリギリのところまで進み出てカメラを構えた。





回廊に囲まれた中庭で、静かに鎮座する山王神輿は、威厳に満ちた光を放っていた。




御神幸の次第は次の通りある。

まず11日の15時、
大宮神輿は日吉大社西本宮神輿収蔵庫前からトラックに乗り、一路延暦寺へ。

最初、神輿は大書院前に奉安。




19時、延暦寺大黒堂前で読上げ式があり、
その終了後、大宮神輿は大書院前の山王社を出御。

この山王社だが、神額も看板も何もない。
延暦寺の案内地図には、その所在も書かれていない。
とても質素な佇まいで、いい雰囲気を持ったお社であった。



面白かったのは、お賽銭箱の上にある鈴だが、
もう一つ、寺院によくある鰐口も下がっていて、鈴を鰐口にぶつけて音を鳴らす構造になっている。
これも、神仏習合なのか。




山王社前を出た神輿は、この坂を上って延暦寺会館を通り抜け、出世大黒天堂前へ。



この大黒天は、根本中堂を建てるときに守護神として祀ったのが始まりとされている。
西本宮との関係は、西本宮の御祭神が大己貴命であり、
大己貴命=大国主命=大黒天という繋がりなのである。



この大黒天堂の大黒さんは三面六臂のお姿で、
太閤秀吉さんも開運を祈願したという故事が残っている。




大黒さんの撮影はできないので、看板を一枚カメラに収めたが、
そのお姿の凄まじさが少しは伝わったかと思う。
実物の像は、普段よく知る穏やかな大黒さんとは、その迫力が違うのだ。


根本中堂前まで降りて来た神輿は、回廊の門を潜って中庭に奉安され、
日吉大社・延暦寺 神仏合同法要が執り行われました。





先に書いたとおり、根本中堂内は撮影が禁止されていたので画像はないが、
お堂内の中陣中央には玉座がり、
驚いたことに、そこに小さな神輿がもう一基奉安されていたのである。

神輿の神額を見ると、『流護因』と書かれていた。
そうなのだ、”流護因”、日吉大社の境外末社「流護因社(ながれごいんしゃ)」のことなのだ。





社は、山王祭の宵宮落としが行われる大政所の前、産屋神社の北隣にあって、
祭の頃は、枝垂桜が美しい。



そこの神輿庫に納められている神輿で、

坂本中の境外末社が一斉に祭りになる5月3日の総祭りでは、神輿が飾られ渡御をする。




この流護因社に関して、神職の方にお尋ねしたところ、
本来は”護因社”というお宮さんで、日吉大社の境内に四社祀られていたという。
”流”という文字が付いているのは、昔に大水が出た時、
小谷川の川上にあった護因社が流され、現在の大政所前近くに留まられた。
そして、その地に流護因社として鎮座されたらしいのだ。
現在、その小谷川の上流には『奥護因社』という小祠がお祀りされている。

その”奥護因社”だが、近年はもう参道もなくなり、
社殿に近づこうにも、個人の土地を抜けないといけない状態になっていた。
皆の記憶からも忘れ去られて朽ちかけていたのである。

それを、去年の平成20年になるが、社殿周りを整備して、新たに参道も作られたのである。
まだ案内地図などには表記されていないお社である。
私も社務所で聞いて、始めてたどり着くことができた。




お社そのものは新しくなっているが、一部もとの古い社の部材が使われているのがわかる。
しかし、その再利用された部分でさえ傷みがあり、
もとのお社の傷みが進み、ほとんど朽ちかけていたことが伺える。



おそらく、この神額も元のお社からのものと思われる。
見えにくいが、奥護因社と刻まれているのがわかる。


奥護因社にたどり着くまでの道筋を順番に見ていこう。

この画像を見ると、日吉大社を知る方なら入り口はすぐわかるはず。
そう、牛尾宮の神輿庫である。













護因社4社の内の1社がこの奥護因社だったとして、あとの3社はまったく所在はわからない。
すでに祠も朽ち果て、山の自然に還ってしまったのだろう。

このように、護因社のことについては、まだまだ謎の部分が多い。


最初は、西本宮の大宮神輿が比叡山延暦寺御神幸ではじまったが、
この流護因社の神輿が大宮神輿といっしょに山を登った理由はわからない。

延暦寺や日吉大社で聞いた話では、御神幸が大宮神輿一基だけでは寂しいので、
もう一基、神輿がお供をしたのでは、ということも聞いた。
しかし、これも正式なお話ではなかったので、別に根拠があるのかもしれない。

護因社にお祀りされている”護因”について調べれば、
その理由のヒントがあるかもしれない。
そこは、また別項に譲ることとし、一旦締める。



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Posted by ずんずん  at 09:00 │Comments(0)山王祭・日吉大社

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