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CATEGORY:山王祭・日吉大社

2010年02月26日

日吉大社・山王祭2010 広芝にて

21日の日曜、春を思わすようなあたたかさ、広芝の地から琵琶湖を臨んだ。
3月30日には、この場所で"山王祭 おいで神事"が行われる。
新しい力が漲った西本宮のご祭神・大己貴神が降臨され、
大榊に宿って西本宮まで渡御をされるのだ。



西本宮まで渡御された御神霊は、
4月3日になると再び浜大津の天孫神社まで大榊に宿って渡御をされる。
これが大榊神事である。
松明に先導された大榊は、坂本~下阪本の町内を人の手によって渡御し、
下阪本の志津若宮神社前からトラックに載せられて、
これぞ文明の利器で、一気に浜大津のオキ薬局前・彦田神社までワープする。

浜大津では、天孫神社の役員方々が、提灯を手に大榊をお迎えになる。
今度は、その役員の方々の先導で、
途中、旧蛭子町の蛭子神社をご参拝し天孫神社へ入られる。
大榊は、このまま11日間、天孫神社の拝殿に奉安され、静かに時がやってくるのを待つ。

14日、いよいよ大榊が動く。
日吉大社では、例祭で天台座主による五色奉幣が終わり、
その昼過ぎの1時頃、西本宮に大榊は還御する。
大榊を待っていた七基の神輿が、その還御に呼応して一気に動き出す。

この大榊神事は、大己貴神がかつて近江京遷都(天智天皇七年・668)の際、
都鎮護の為に大和三輪山の大神神社から勧請された、
その時の姿を再現したものであるともいわれている。
また、粟津の御供献納祭も、やはり大和からお遷りになられた時、
琵琶湖を渡ってこられたという伝承からの神事がある。
その意味と関係を、さらに調べてみたい。

そうこうして、いろいろと思い巡らせていると、
いよいよ、山王祭近し、といった気持ちが強くなってくる。
さあ、明後日は鈴縄巻きである。




東本宮が八王子山の山頂直下の金大巖に降臨されるのに対して、
西本宮は、天気がいいと琵琶湖対岸はおろか、伊吹連山に手が届く程に眺めが利く、
この広芝の地に降臨される。

ここに、「広芝のこと」と題した、大きな石碑が建っている。
昭和62年の建立だ。
その碑文中に、広芝の語源が書かれていた。
本来は、この地を「広道芝松」と呼んでいたようだ。
よく見ると、「おそらく近世のことと・・・大宮の東の方へ遷し奉ったと言う」と刻まれている。
この表現からすると、近世から昭和62年当時には、直木神事~真榊神事~おいで神事といった、
一連の神事が行われていなかったのではないか。
最近、日吉古式祭として復興したものかも知れない。

また、左端に少し小さな文字で「国宝 権現橋材」という文字が彫られている。
これは、日吉三橋(大宮橋・二宮橋・走井橋)に並ぶべき石橋であったと思われる。
それは、比叡山高校の前の県道に架かる橋であった。
現在はコンクリート橋に架け変わっているが、
日吉東照宮への参拝道にあたるこの道に架かっていたので、権現橋と名付けられていたのだろう。
台風か大水で倒壊したのではないか。
同じ石材を使って、新田義貞の祈願文の碑が、神輿収蔵庫の近くに建っている。





 



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Posted by ずんずん  at 22:00 │Comments(0)山王祭・日吉大社

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