CATEGORY:森下仁丹看板
2010年03月26日
仁丹町名表示板 古写真にみる編~八坂通~
久々の仁丹看板記事です。
古い写真や絵葉書をながめていると、
今は観ることのできない仁丹町名看板の姿を見つけることができる。
特に、写真絵葉書が多数出回りだした大正期から昭和初期にかけて、
今では絶滅"瀕死"種に入る木製仁丹町名看板を観ることができるのが面白い。
まだ真新しい看板たちが、町屋の黒っぽい柱や板塀にくっきりと見て取れるのだ。
設置が進んだ時代と重なり、その当時の真新しい看板の姿を、ポロポロと見つけることができる。
それらの写真は、当然ながら仁丹看板を撮しているわけでない。
メインの被写体が別にあって、その末席に偶然写り込んでいるという類の写真である。
だから、構図やサイズは最悪の写り方になっている。
しかし、それがまた可愛い。
今回、大正期の絵葉書からの紹介。
今でのこのアングルの八坂の塔はよく目にするが、
時代が100年近く前ということもあり、沿道の街並みが全然異なっている。
庚申亭という店が、八阪だんごの大きな看板を出している。
八坂庚申堂がこのすぐ右側の南向いにあって、
そのお堂前のお店だからこの屋号をつけているようだ。
そうして、この看板や暖簾の左端に目をやってほしい。
見覚えのある看板が、すごく斜めに見えるだろう。
その部分の変形を修正してみたところ、
仁丹看板の木製「八坂通」が浮かび上がってきた。
琺瑯の仁丹看板が設置されだす以前の大正期、
相当数の木製仁丹看板が設置されていたと考えられる。
それも、昭和3年の御大典に合わせて、急ピッチで設置されていった琺瑯の仁丹看板に、
一部はそのまま残ったものの、
そのほとんどは張替えられてその姿を消していったものと思われる。
古い写真や絵葉書をながめていると、
今は観ることのできない仁丹町名看板の姿を見つけることができる。
特に、写真絵葉書が多数出回りだした大正期から昭和初期にかけて、
今では絶滅"瀕死"種に入る木製仁丹町名看板を観ることができるのが面白い。
まだ真新しい看板たちが、町屋の黒っぽい柱や板塀にくっきりと見て取れるのだ。
設置が進んだ時代と重なり、その当時の真新しい看板の姿を、ポロポロと見つけることができる。
それらの写真は、当然ながら仁丹看板を撮しているわけでない。
メインの被写体が別にあって、その末席に偶然写り込んでいるという類の写真である。
だから、構図やサイズは最悪の写り方になっている。
しかし、それがまた可愛い。
今回、大正期の絵葉書からの紹介。
今でのこのアングルの八坂の塔はよく目にするが、
時代が100年近く前ということもあり、沿道の街並みが全然異なっている。
庚申亭という店が、八阪だんごの大きな看板を出している。
八坂庚申堂がこのすぐ右側の南向いにあって、
そのお堂前のお店だからこの屋号をつけているようだ。
そうして、この看板や暖簾の左端に目をやってほしい。
見覚えのある看板が、すごく斜めに見えるだろう。
その部分の変形を修正してみたところ、
仁丹看板の木製「八坂通」が浮かび上がってきた。
琺瑯の仁丹看板が設置されだす以前の大正期、
相当数の木製仁丹看板が設置されていたと考えられる。
それも、昭和3年の御大典に合わせて、急ピッチで設置されていった琺瑯の仁丹看板に、
一部はそのまま残ったものの、
そのほとんどは張替えられてその姿を消していったものと思われる。
平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動