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CATEGORY:森下仁丹看板

2010年08月07日

【復活】消滅・仁丹町名表示板 河原町通夷川上ル指物町

2010年05月20日の『消滅・仁丹町名表示板 河原町通夷川上ル指物町』で残念なお知らせをしていたが、

コメントでおなじみの”でな桜さん”から、先日、メールをいただいた。

その内容というのが、「あの仁丹がお向いのビルに復活しているよぉ~。」というビックリの情報だった。

覗いてみると、こんな塩梅だった。



嬉しさのあまりと言うか、いつもの手順と言うか、

ことの次第をお聞きしようと、おもむろにビルの一階に飛び込んでみた。

そこはインテリアデザイン事務所で、「さすが~お商売柄、仁丹看板にも敏感なんだなぁ。」と思ったのだが、

なんとそちらは只のテナントさんで、その仁丹看板復活の経緯はまったく知っておられず、早々に退出した。

知っているのは大家さんということだったので、さっそくに大家さんをお尋ねし、お話を伺うことが出来た。

河原町を挟んで、東向いの町家がどんどん取り壊されていくのを見ていた大家さんは、

あの仁丹看板がどうなるのかとても心配になったそうで、思い切って声を掛けて聞いてみたそうだ。

すると、このまま廃棄するという話だった。なんともったいない。

それなら、うちで貼りたいので譲って欲しい、と申し出られて復活が実現した。



「朝日新聞の記事読まはったか?」と言って、大家さんが私に一枚の紙を手渡してくれた。

見ると、今年4月28日の朝日新聞夕刊のコピーで、「ますます勝手に関西遺産」という連載記事だった。

その日の記事は、京都市内の町家の取り壊しが進み、それといっしょに仁丹町名看板も激減していることを報せていた。

大家さんがその記事を読んで間もなく、お向いの取り壊し工事が始まったようだ。

その懐かしいものが消えていくことを憂う気持ちが、そのアクションに結びついたのかもしれない。


町家じゃなくてビルだから、似合うかどうか心配だったけれど、思った以上に似合ってくれて良かったと、

嬉しそうに大家さんは仰っていた。

譲り受けてから、表面の琺瑯が痛まないように磨き上げ、

2枚の内、「河原町通夷川上ル 指物町」の看板は、まったくそのままに使って、

「夷川通河原町”東”入 指物町」の方は、”東”の部分だけ上からペンキで”西”入に書き換えた、というお話だった。

琺瑯だから、ベースの琺瑯自体は全然痛まないし、それよりも、復活した姿がとても輝いている。

引越しして、まだ一週間ほどの看板だが、

日を追うごとにこのビルにも馴染んで、道標として生き続けてくれることになるだろう。



※大家さんが読まれた朝日新聞の記事のWeb版。
 ~ますます勝手に関西遺産~【森下仁丹の町名表示板】市民にみな効く 道案内

その記事中にとても気になる部分がある。
森下仁丹が3年前に、社員が京都市中心部を歩いて、仁丹看板の現況を調べた地図を作製した、という一節だ。
どんな地図なのか、見てみたいものだ。
しかし、仁丹ニアンなら知ってると思うけど、仁丹看板は中心部だけじゃないからね。





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Posted by ずんずん  at 04:03 │Comments(4)森下仁丹看板

COMMENT
これは朝から、良い知らせ、素晴らしい嬉しいニュースじゃありませんか!

向かいのビルの大家さんご立派! 仁丹に注目していて、しかもいざとなったら行動に出られたわけですから。それにしても危機一髪のタイミング。”薬の外交官”の霊力も働いたのでしょうか。

それから、でな桜さんもあっぱれ!

地図を見たら、このビルもぎりぎり指物町なのですね。同じ町名だからというのもこのような幸運を招いたのではないでしょうか。

東入と西入の書き換えは適切なご判断と支持します。書き換えによって現役が保てるわけですから。もししなければただのアンティークになってしまいます。上京区を中京区に更正されなかったのは、これもまた適切な判断と支持してしまいます。歴史を伝えるために。

そうそうついでに。東山区管内では仁丹看板の下京区の表示を東山区に直した痕跡のあるものが非常に目立つのですが、北区や中京区管内では看板の上京区表示に何ら手を入れていないのが圧倒的に多いのです。住民の思いに違いがあるのではと見ています。

仁丹看板もますます面白くなってきましたね。
Posted by shimo-chan at 2010年08月07日 08:04
いやはや、
早速、UPされましたね。大家さんにまで話を聞かれたのには脱帽です。
このようにブログの記事になるとは感慨深いものがありますね。
偶然にも、前を通って発見しただけですが。
立派な記事にしてもらってありがとうございます。

さて、復活看板でコメントをひとつ。
以前、「姉小路通富小路西入菊屋町」の看板が消滅しましたとコメントしましたが、その看板も復活しておりました。
建物の右側から左側に移動はしております。

まぁ、たいてい復活といえばこのような感じが多いのですが、今回は通りを挟んで向かい側というのも初めてですね。このように、これからも看板が復活される事を望むばかりですね。
Posted by でな桜 at 2010年08月07日 18:02
shimo-chanさん、この復活劇が京都市内の各所の事例に広がってくれれば嬉しいことです。
それから、東山区云々のところは、私も思うところですね。
以前に書いたかもしれませんが、
上・中・下京区の住民の方々の仁丹看板への対応の違いを、生き残った看板の状態から感じ取れるというお話で、
下京区の場合は、実用主義というか、見栄えよりも使うことに重点をおいた姿が多く見られる様に感じます。
東山区も、その感に繋がるものがあるのかもしれませんね。
Posted by ずんずんずんずん at 2010年08月08日 18:40
でな桜さん、どうもありがとうございました。
でな桜さんが見つけられたのは、おそらく再設置されたその当日くらいだと思いますよ。
再設置復活パターンは今後増えていってくれることを願うばかりです。
今回の別オーナーに引き継がれて再設置されている看板は珍しいですが、
以前に見つけた、”上京區下鴨宮﨑町”がそれでした。
でも、旧市内の範囲では、住所表記の関係で再設置できる場所がすごく限定されますから、余程に相互の条件が合わないと起こり得ないですよね。
そのことからすると、これは非常に期待の事例になりますよ。
Posted by ずんずんずんずん at 2010年08月08日 18:54
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