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CATEGORY:森下仁丹看板

2007年07月12日

祗園祭に因んだ仁丹町名表示板 その1

今、京都の町は、祇園祭で盛り上がっております。

7月17日の山鉾巡行を控えて、

日増しに"コンコンチキチン"ムードのボルテージがUPしている感じです。

そこで、仁丹看板も祇園祭をテーマにセレクトしてみました。

こんなのもあるか!ということで、暫しお楽しみ下さい。



まず一枚目は、『天神山町』です。

山鉾32基には、天神さんを祀っている山が2基あります。

1基は、油小路通綾小路下ル 風早町の"油天神山"。

そしてもう1基が、ここ錦小路通新町東入 天神山町の"霰天神山(あられてんじんやま)"です。

看板の設置が、中京区が分区した昭和4年4月1日以前のため、

"下"京区表記の上から、"中"京区の貼り付けがちょっと残念。

でも文字の書体は、苦心の跡がみられますね。

祗園祭に因んだ仁丹町名表示板 その1




二枚目は、『山伏山町』です。

この町も、昔からの町家は"山伏山(やまぶしやま)"の町会所を除いて、ほぼ壊滅状態。

辛うじて残っている仁丹看板です。

こちらの行政区表記は、下京区のまんまですね。

祗園祭に因んだ仁丹町名表示板 その1




三枚目は、『木賊山町』です。これで、「とくさやまちょう」と読みます。

今年の"木賊山"は16番目を巡行します。

ルビを振っていなければ、なかなか読めない難読町名の一つでしょう。

「東中筋通」というのも、通り名ファンには当たり前でも、

一般的には結構マニアックですよね。

祗園祭に因んだ仁丹町名表示板 その1




さて、四枚目は『傘鉾町』です。

傘鉾の形態をとっているのは、

綾小路通新町東入 善長寺町の"綾傘鉾"と、ここ傘鉾町の"四条傘鉾"です。

祇園祭が、現在のような山車(だし)中心のお祭巡行になる前、

まだ、風流中心の祭礼だった頃の姿を残しているものです。


実は、この看板の存在を知ったきっかけですが、

やはり仁丹看板をはじめ、街の姿を追いかけておられるidecchi_2006さんが、

ご自分のBlog 『京都で暇つぶし』で紹介されたのが最初でした。

鴨川から大宮通間の四条通は、

仁丹看板にとっては生き残れる確率0%といってもイイくらいの過酷なエリアで、

屋内に張り替えられて、綺麗に保存されているこの看板の姿を見た時は、

信じられない感がありました。

設置されているお店にお邪魔して、店内で撮影させていただいたものです。

祗園祭に因んだ仁丹町名表示板 その1 



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Posted by ずんずん  at 21:06 │Comments(8)森下仁丹看板

COMMENT
面白い角度から仁丹看板を見せていただきこんな楽しみ方もあるのかとまたまた、仁丹看板が好きになりました。
僕も探してみましたら、ありました!!
”菊鉾町”見つけた見つけたと思いきや、
仁王門新柳馬場東入??鉾町は鉾町でも祇園祭りとは関係が無いようで。!!
Posted by ゆりかもめ at 2007年07月12日 22:16
ゆりかもめさん、ご無沙汰してます。

最近ますます感じてきたのですが、
仁丹看板の魅力は、この看板そのものの魅力もさることながら、
京都の人たちに、とても愛されている看板だなぁ、ということなんです。
この看板が、自分の家に付いていることを誇りに思って、
大切にされているお家の方もいらっちゃいます。
こちらの傘鉾町のお店さんも、そうでしょう。

京都という町が魅力的である理由の一つに、
ひょっとしたら、こういうところがあるのかもしれませんね。
しみじみ、感じ入ってしまいます。

ところで、ゆりかもめさんの言っておられる"菊鉾町"ですが、
これは、下御霊神社の祭礼に奉賛する、
剣鉾の「菊鉾」が守護されている町です。
この剣鉾は、祇園祭の鉾の原型ともいわれていて、
西隣りの讃州寺町には、やはり「扇鉾」という剣鉾がありますが、
これの作は古く、室町時代の1450年?頃だったかと思います。
剣鉾はほとんどの場合、内裏や宮家からの御寄附がほとんどです。

「剣鉾BLOG」をご紹介させていただきます。
ご興味があれば見て下さい。
http://kenboko.kyo2.jp/
Posted by ずんずん at 2007年07月13日 17:30
ずんずん様

ご紹介いただきありがとうございました。
本当にたまたまの発見だったのでアップしたものだったのですが、多くの方に喜んでいただいて、何かとても感激しています。お店の人もきっと嬉しいんじゃないでしょうか。

祇園祭に因んだ企画、とても魅力的ですね。町歩きがまた楽しくなります。台風が過ぎた後散歩日和になってくれるといいなぁ…。
Posted by idecchi_2006 at 2007年07月13日 19:22
idecchi_2006さん、コメントありがとうございます。
"山"の名称が付いている町って、結構少ないのですが、
意外と残っていた思います。
本当は上げたかった、
長刀鉾町・菊水鉾町・凾谷鉾町・鶏鉾町・月鉾町・船鉾町の鉾町系でしたが、
四条通に面しているか、或いは近隣の町なので、
予想通りの結果といえば結果ですが、
やっぱり無いもんですね。

だから、傘鉾町の看板がいかに貴重か、
ということがわかります。
何度考えても、すごいです。
Posted by ずんずん at 2007年07月17日 00:20
『傘鉾町』の旗屋さん、店構えに感動して2回ほど撮影したことがありましたが、仁丹看板には全く気づきませんでした。それに、今出川新町の酒屋さんも、前を何度も通りながらにして全く気づかず、まだまだ修行が足りないことを思い知らされました。でも、“隠れた仁丹看板”を探すとなると、ますます挙動不審な人物になってしまいそうです。

ところで、これらは家を改修したおりに、大切にしつつ、皆さんにも公開するという形ですが、公開されずに奥深く保管されているケースも結構あるのではと常々思っていたところ、職場の上司にそのような方がおられましたので驚きました。下京区の家を取り壊し、城陽市に引越しされた時に、記念にと仁丹看板も持って行かれたそうです。そして、今も倉庫にしまってあるはずだと。これも“隠れた仁丹看板”ですよね。

テント看板やアーケードなどで、自然と“隠れた仁丹看板”となってしまっているケースもあるかと思います。

そして、最後は映画や古い写真の中に見出すということもあります。
最近、次の映画をDVDで見ました。

「祇園の姉妹」昭和11年 第一映画 監督:溝口健二 出演:山田五十鈴他
「偽れる盛装」昭和26年 大映 監督: 吉村公三郎 出演:京マチ子、小林桂樹他
「夜の河」昭和31年 大映 監督:吉村公三郎 出演:山本富士子、上原謙他

いずれも京都を舞台としたもので、現地ロケがふんだんに用いられており、画面を見ていても仁丹看板のありそうなポイントが映ると、自ずと目が行ってしまうのです。そして、発見!してしまうのです。「祇園の姉妹」と「偽れる盛装」は祇園が舞台で、花街にもやはりあるべきところにはあったことが確認できます。「夜の河」は二条城横の堀川沿いの染物屋が舞台となっており、6枚ほど発見することができました。ただ、画素数の関係で、文字の読み取りまでは無理なのが多く、条件の良いものでも通り名は読めても町名までは判読できませんでした。でも、ロケ地をきっちりと検証したら存在していた場所の特定はできるでしょう。もしかしたら、そこに今も保管されているかもしれませんね。
Posted by shimo-chan at 2007年08月05日 16:15
shimo-chanさん、ごぶさたしてます。
そうですね、テントやアーケードで見えなくなっている看板がたくさんあると思います。
京都の場合、トタン板で柱ごと覆い被せてしまっているケースや、
昔ながらの町家を、表向き新建築のように見せる改築で、
看板がモルタルに埋もれてしまっているケースなど、
埋蔵文化財のような状態の仁丹看板が多数存在しているでしょうね。

ところで、映画の話おもしろいですね。
一度みてみたいですね。
花街にも、たくさんの仁丹看板があったんですね。
またおもしろい情報あったら教えて下さい。
Posted by ずんずん at 2007年08月07日 09:29
ずんずんさんこんばんわ。
さて、shimo-chanさんが気が付かなかった今出川新町の酒屋さんの仁丹看板ですが、実はあの看板は消えてしまうはずの看板だったのです。と、言うのもあの酒屋さんの隣に木造の空家があって、その空家の2階についていたのですが、その前を通った時にその空家を解体している現場に居合わせてしまいました。そこで、意を決して解体している業者さんに頼んで看板をもらえるかどうか尋ねたところ、OKの返事をもらえたので看板をはずしてもらい、さあ帰ろうと言うところで横にいたオバチャンに見つかり隣の酒屋さんに告げ口されました。それで、酒屋さんに預ける事になって保存される事になったのですが、多分、僕が解体を見つけなければ保存されなかった事でしょう。複雑な心境ですが、看板が1枚保存されたので良しとします。(笑)

長文どうもすいませんでした。
Posted by でな桜 at 2009年07月07日 19:16
でな桜さん、感じていただいたことを書くコメント欄です。
長文歓迎ですよ。

そうなんですか。
あの看板は、そういう経緯であそこに設置されるようになったんですか。

その時の現場では、ほんと複雑な心境だったでしょう。
時間が経った今は、残ってくれたことが良しと思えても。
あの酒屋さんの設置の仕方から判断すると、
でな桜さんの思いは伝わっているように感じますが、いかがですか。

私は良く思うのですが、仁丹町名看板は、
その明記された住所地に設置されていてこそ、
本当の動態保存だと。
コレクションとして、どこかのショウウィンドーに飾られた姿は、あまり見たくないです。
動物で言うと、剥製を見ているようで、悲しくなるのです。

そのことでいうと、解体屋さんに一声掛けた”でな桜さん”の勇気に拍手です!

私も、そんな現場に2度遭遇したことがありました。
しかし、結果声を掛けられずじまいで、
その後、その看板は再設置されることも無く、姿を消しました。
今、後悔しています。
その勇気は必要ですね。

貴重なコメントありがとうございました。
Posted by ずんずん at 2009年07月08日 13:25
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