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CATEGORY:森下仁丹看板

2010年09月30日

埋蔵仁丹現る!「新シ町通錦小路下ル藤岡町」

埋蔵仁丹看板を発見・・・というか、

ゆりかもめさんが”船頭町”の仁丹看板を探しに行って、

結局見つけられずに、偶然見つけたという、この看板。

流石!仁丹看板の伝道師。

某飲食店の店内に設置されている。

因みに、”新シ町通”というのは黒門通のことだが、

現在、その通り名をチラホラ見かける範囲は、押小路通から四条通の間の様である。

しかし、この看板、あの1997年刊の「京都・もう一つの町名史」にも載っていなかった。

発見困難な場所に設置されていたとは考えにくいことからすると、

それ以前に取り外されて、どこかで保存されていたことになる。



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Posted by ずんずん  at 01:23 │Comments(4)森下仁丹看板

COMMENT
埋蔵仁丹復活、色々と考えさせられますねぇ。
後にも琺瑯看板が写っていることから、この例は金鳥などのレトロ看板と同格に扱われているケースです。
とにかく今は無事でよかったと、ひとまず安堵です。

ところで、この看板、どうやら阪急の大宮駅のすぐ北側にあったものらしいですね。
この界隈は古い町並みが残っていて、しかもかつては新京阪鉄道(現阪急京都線)のターミナルだったのに意外にも仁丹が非常に少ない一画で不思議でした。
でも、やっぱり普通に存在していたということが分かりました。

それと「新シ町通」、?ですよね。
どうやら黒門通のようですので、書籍を紐解いてみると、江戸時代は御池通以南において、新シ町通、御太刀松通、竹屋町通と様々に呼ばれていて、この不統一は明治に持ち越され、黒門通に統一されたのは戦後になってからだと記述されていました。
昭和の御大典の時に一斉かつ大量に設置されたという仮説と上手く符合するではないですか。

またまた、仁丹看板によって知らない歴史を教えられました。
これだから病みつきになってしますのですよね。

ゆりかもめさん、ずんずんさん、貴重な情報ありがとうございました。
Posted by shimo-chan at 2010年10月03日 08:31
shimo-chanさん、先日はおつかれさまでした。
新京阪・旧京阪という名詞に、ゾクッと来ますね。
この呼び名をリアルタイムでは知らないですが、親父や祖母は、阪急のことを新京阪と呼んでいました。
私の中学時代ですが、月刊の時刻表の中で、巻末の方の私鉄欄で、
”阪急電鉄”の名称が”京阪神急行”と記載されていたのを思い出します。
世間では、すでに阪急が一般的になっていたのですが、正式な電鉄名が京阪神急行だったのでしょうね。

ところで、仁丹看板に話は変わりますが、そうなんですよね。
この四条大宮界隈は、仁丹看板が妙に少ないエリアです。
特に、四条大宮交差点の南東(四条~松原/堀川~大宮)エリアの範囲が希薄で、”アリナミン”などの町名看板は見かけても、仁丹看板はありませんね。
戦前の段階で何かあったかもしれないですね。
Posted by ずんずん at 2010年10月04日 18:20
はじめまして

京都西陣で生まれ育って44年になります
京都新聞のインターネット版の記事を見て
「家の近くにぎょうさんあるで」
と、思い立ち、この春から町名看板を撮り始めました

今日のこの一帯を歩き回ってましたが・・・
(出身高校が近くなもので慣れている場所です)
さすがにこの町名看板は見つけられませんでした
五辻通大宮西入るのマンションのエントランスに
飾ってあるのは見つけられましたが・・・

この「新シ町」は、今では言いません
わたしが高校生の頃は、クラスの名簿には「新シ町」で
書かれているクラスメイトが何人かいましたが
「新シ町」の「シ」を抜いてしまうと「新町通」と
間違えられてしまうことがたびたびあったそうで
また「新シ町(黒門)」と「新町」が近くであることから
郵便や運送業者から「新シ町」の表記はまぎらわしい
ので極力使わないで欲しいとの要望があったとかなかったとか

町名看板を撮りつつ、当時の街並みとの変化に
気付くようになったのは、とてもよかったと思います
ようやく300枚近くまで撮れましたが
楽しく歩いて探して見つけていこうと思ってます
いい記事、ありがとうございます
Posted by 京神たかちゃん本舗 at 2010年11月27日 22:44
京神たかちゃん本舗さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

>「新シ町」は、今では言いません
この新シ町通のことは、面白いと思いですね。
地元のお年寄りでは、使われる方もいらっしゃるんでしょうね。
確かに、間違い易いというデメリットもあるのですが、
歴史ある通り名を失ってしまうのは、その地域の歴史も忘れ去られてしまうことにつながります。
是非とも、ことあるごとに声に出して伝えていく必要があると思いますね。

本当に、仁丹町名表示板を訪ねると、今まで知らなかった京都の姿を垣間見ることができます。
おそらく、明治期でも、まだ近世の姿を残していた頃の京都の町並みを彷彿とさせてくれます。
300枚、まだまだこれから楽しみが多いですね。
現在、残存750枚を切ったところです。
ただ、最近、私たちの間で呼んでいる、埋蔵仁丹(取り外されて屋内に保存されている仁丹看板)の枚数が、
並大抵の数ではないという予想が見え始めています。
やはり、京都の人は、仁丹町名表示板に愛着をもっている方が多いようです。

これからも宜しくお願い致します。
Posted by ずんずんずんずん at 2010年11月30日 12:26
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