CATEGORY:お祭・行事
2007年08月29日
8月5日『大将軍一の市』の巻~その3~
地図はこちら
大将軍一の市に顔を出させていただいた時、
大将軍八神社の収蔵庫『方徳殿』を、見せていただくことが出来ました。
それも、宮司さんの解説案内付きという、贅沢な時間を過ごすことが出来ました。
その収蔵庫には、
平安時代中期から末期に作られた「神像」が所蔵されていて、
武装像・束帯像・童子像、80体が重要文化財に指定されているのです。
古天文暦道資料(府指定文化財)も多数蔵されています。
ただ、それらの文化財を無闇に撮影することは問題があると思い、
残念ですが控えることにしました。
その代わりといっては何ですが、
非常に面白いものを見せていただくことが出来ました。
●まず一つ目は、この骨だけの神輿です。
これは何かというと、あの瑞饋神輿(ずいきみこし)の骨組みなのです。
といっても、北野の天神さんの瑞饋祭に出輿する瑞饋神輿ではなく、
大将軍八神社の瑞饋神輿なのです。
本来、瑞饋神輿は西ノ京一帯の各所で多数作られ祭礼に出ていたらしいのですが、
次第にその製作の技術や伝承が絶え、現在では「西之京瑞饋神輿保存会」が、
10月の瑞饋祭に瑞饋神輿を奉賛するのみとなったのです。
※どじょうの寝床さんの『京都の祭・剣鉾BLOG』 瑞饋祭10月1日~5日 を参照下さい。
瑞饋神輿が紹介されています。
ここ大将軍八神社の瑞饋神輿は、
祗園社の中御座(素盞鳴尊)と同じ、六角形鳳輦型の神輿なのです。
現在の瑞饋祭の瑞饋神輿は千木(ちぎ)型をしていますが、
亨和2年(1802)までは鳳輦型をしていたようです。
さらに面白いことがわかったのですが、北野の天神さんの西ノ京瑞饋神輿は、
明治に入ってしばらく、明治23年に復活するまでの間、一時中絶をしていたのですが、
ここの瑞饋神輿は、由緒書にもあるように、明治5年・7年・19年・24年と修理を施され、
天神さんの方では中止になっていた間でも、継続的に出輿していたことがわかります。
たくさんの瑞饋神輿の部品が置かれています。
この収蔵庫が竣工(昭和50年)した時、組み立てて展示されていたとのことです。
その時、生の野菜は使えないので、模造品を代用して作られたのです。
瑞饋祭の大鈴が「賀茂なす」で作られているのに対して、
大将軍八神社は「南瓜(かぼちゃ)」を使っているところなんて、
何とも、ほのぼのとしてしまいました。
●最後に二つ目は、この画像をご覧下さい。 これは何でしょうか。
何かお札のようなものですが、
私も聞いて、ほぅ~これがそうなのかと、唸ってしまいました。
答えを明かしますと、
これは、江戸期に起こった「お蔭参り」の御札の現物なのです。
この御札が、天から降ってきて、
それを切欠にしてか、全国で数百万人規模の伊勢詣で起こったのです。
天から降ってきたって言っても、明らかに人が作ってますよね。
【お蔭参り】 ウィキペディア(Wikipedia)
大将軍一の市に顔を出させていただいた時、
大将軍八神社の収蔵庫『方徳殿』を、見せていただくことが出来ました。
それも、宮司さんの解説案内付きという、贅沢な時間を過ごすことが出来ました。
その収蔵庫には、
平安時代中期から末期に作られた「神像」が所蔵されていて、
武装像・束帯像・童子像、80体が重要文化財に指定されているのです。
古天文暦道資料(府指定文化財)も多数蔵されています。
ただ、それらの文化財を無闇に撮影することは問題があると思い、
残念ですが控えることにしました。
その代わりといっては何ですが、
非常に面白いものを見せていただくことが出来ました。
●まず一つ目は、この骨だけの神輿です。
これは何かというと、あの瑞饋神輿(ずいきみこし)の骨組みなのです。
といっても、北野の天神さんの瑞饋祭に出輿する瑞饋神輿ではなく、
大将軍八神社の瑞饋神輿なのです。
本来、瑞饋神輿は西ノ京一帯の各所で多数作られ祭礼に出ていたらしいのですが、
次第にその製作の技術や伝承が絶え、現在では「西之京瑞饋神輿保存会」が、
10月の瑞饋祭に瑞饋神輿を奉賛するのみとなったのです。
※どじょうの寝床さんの『京都の祭・剣鉾BLOG』 瑞饋祭10月1日~5日 を参照下さい。
瑞饋神輿が紹介されています。
ここ大将軍八神社の瑞饋神輿は、
祗園社の中御座(素盞鳴尊)と同じ、六角形鳳輦型の神輿なのです。
現在の瑞饋祭の瑞饋神輿は千木(ちぎ)型をしていますが、
亨和2年(1802)までは鳳輦型をしていたようです。
さらに面白いことがわかったのですが、北野の天神さんの西ノ京瑞饋神輿は、
明治に入ってしばらく、明治23年に復活するまでの間、一時中絶をしていたのですが、
ここの瑞饋神輿は、由緒書にもあるように、明治5年・7年・19年・24年と修理を施され、
天神さんの方では中止になっていた間でも、継続的に出輿していたことがわかります。
たくさんの瑞饋神輿の部品が置かれています。
この収蔵庫が竣工(昭和50年)した時、組み立てて展示されていたとのことです。
その時、生の野菜は使えないので、模造品を代用して作られたのです。
瑞饋祭の大鈴が「賀茂なす」で作られているのに対して、
大将軍八神社は「南瓜(かぼちゃ)」を使っているところなんて、
何とも、ほのぼのとしてしまいました。
●最後に二つ目は、この画像をご覧下さい。 これは何でしょうか。
何かお札のようなものですが、
私も聞いて、ほぅ~これがそうなのかと、唸ってしまいました。
答えを明かしますと、
これは、江戸期に起こった「お蔭参り」の御札の現物なのです。
この御札が、天から降ってきて、
それを切欠にしてか、全国で数百万人規模の伊勢詣で起こったのです。
天から降ってきたって言っても、明らかに人が作ってますよね。
【お蔭参り】 ウィキペディア(Wikipedia)