CATEGORY:森下仁丹看板
2011年02月10日
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
2011年2月10日、平成に復活した仁丹町名表示板の第一号が、京都市役所(寺町通御池上ル)に設置された。
門川京都市長と駒村森下仁丹社長。
平成の復活仁丹町名表示板の面構えである。
やはり、お天道様の下だと、復活仁丹町名表示板の朱色の明るさが際立つ。
あの旧仁丹町名表示板の朱色を出す釉薬は、現在は生産されていないのだ。
近似色を探して、この色目となった。
いいではないか、平成の仁丹町名表示板。
なかなか凛々しい姿をしている。
最初は、ポツンとそれらしい脚立が置いてあるだけだった。
壁面を眺めてみるが、設置の位置はどこなのかはっきりしない。
そうしていると、施工担当の方が現れたので聞いてみたところ、
タイルの目地にすでに穴が開けてあるという。
なるほど、よーく見ると、穴が開いているではないか。
施工方法は、コンクリートボンドでガッチリと固定して、その穴にビス止めするとのこと。
そろそろ、プレス関係者が集まりだした。
そうしている内に、森下仁丹の担当さんが、仁丹町名表示板を持って現れた。
その後に、門川市長・駒村社長が続いて登場。
壁面に、二人で設置のポーズ。
仮止めながら、記念撮影となる。
おそらく新聞用の撮影だろうか。
全体でのインタビューの後、個別にビデオ撮りがされていた。
全部で、ものの15分ほどであった。
知らない人は、何事かと首をかしげながら通り過ぎていた様だが、
夕方のニュースか、明日の朝刊を見て、なるほどと頷くことになるのかもしれない。
テレビ局のインタビューを動画で撮影したので、その臨場感をお楽しみ下さい。
◆森下仁丹株式会社・ニュースリリース
~戦後初第1号となる町名看板を京都の地に復活~ 『京都町名琺瑯看板』第1号を京都市役所に設置!
平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
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仁丹町名表示板に関係ありそうなシンポジウム。
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復活するのも夢のようであれば、市役所に設置してしまうというのもこれまた夢のよう。
一年前に誰がこのようなことを想像したでしょうか。
一企業の広告を市役所に設置するのはいかがなものかと、きっと言う人が出てくるでしょうが、仁丹琺瑯町名表示板はもはや一企業の広告の域を越えています。
文化財の多い京都ですが、これもまた立派な文化財です。京都のオンリーワンのひとつですよね。
デザインの基本は守りつつ、横書きの行政区は左から書いたり、「上る」の送り仮名をひらがなにするなど、今様に変化を遂げての復活、この精神を私は非常に気に入っています。
仁丹の表示板は古いからこそ好きなんだという愛好家もおられるでしょうが、「広告益世」なる精神が貫かれた今回の復活版も立派な本物なのです。私は新旧分け隔てなく大好きです。
ところで、真新しいビスって感動しませんか?
家を建て替えたり、リフォームをして、付け直された仁丹の真新しいビスを見るにつけ、「長い間ありがとう、これからも大切にするよ」と施主が言っているように私には思えるのです。
また、市長さんの「これからも徹底的に大切にする」という力強いお言葉、嬉しくなりました。
そうなんです、そうなんです。
”レトロだけれど生きている・・・だから懐かしくて、いつも新しいんです”
これです。
生きてるんですね。
だから、平成の仁丹町名表示板は、今様に進化しています。
さすがに、QRコードは備えていませんが、
将来的には、iphoneをかざすと、周辺の情報が表示されたりするさらなる進化型がでてきたりするかも・・・
ちょっと飛躍しすぎましたね。
>将来的には、iphoneをかざすと、周辺の情報が表示されたりするさ>らなる進化型がでてきたりするかも・・・
>ちょっと飛躍しすぎましたね。
なるほど、それ面白いじゃないですか。
と思いましたが、よく考えてみたら今後100年以上を見据えた仁丹からしてみたら最新技術なんてほんの一瞬のことなのかもしれませんね。
やっぱり、シンプルなのが一番強いのかな。
京都の「近代」観光資源がまた一つ増えるということですね。
本日は、お疲れ様でした。
確かにそうです。
シンプルでアナログが、最終的に残ってきますね。
写真でも、デジカメでバシバシ撮りまくってるけど、そのディスクやメディアが駄目になったら、その瞬間でデータを取り出せなくなりますよね。
その点、フィルムなら、傷が付こうが折れようが、程度は落ちても画像は大丈夫ですから、最近、やっぱりアナログかな?!という人がいますからね。
まずは、実見してみて下さい。
真新しい仁丹町名表示板は、ちょっと恥ずかしそうです。
まだまだ、京の町中では、古風な顔をしていますが、
新人も新人、ど新人ですので、冷やかしに覗いて見てやって下さい。
やはり、真新しい看板っていいですね。
この看板は、一番新しいヤツやのに、一番えらそうですね。
市役所に合うかなと思っていましたが、なかなかさまになってますね。
これからも、50年100年と京都の顔であって欲しいですね。
末永く京都のオンリーワンである事を願うばかりですね。
ぽつんと、真新しくて、白い縦長の枠が目立っていたでしょ。
向かいの西側に、仁丹町名表示板があって、
新旧のお見合いが実現できたら、素敵だったですがね。
今回の復活リストでは、その実現は難しいでしょうか。
ひょっとして、先斗町でなら、ぎりぎりニアミスかな。
>お仲間に加えていただければ嬉しいのですが・・・・・。
どうぞ、どうぞ、歓迎いたします。
>一度鑑定していただきたいのですが・・・・。ヨメが「ニセモンやわ!」とほざくもの・・・・・。
なんだか、「開運!なんでも鑑定団」の白黒つけましょうのコーナーみたいですね。
黒門五辻近くの木製仁丹と言えば、埋蔵文化財研究所の北側の慈眼庵町のことでしょうか?
細い路地の北側に設置されているのでは?
もちろん、本物だと思っています。と言うか、偽者などないと思い込んでいるだけなのですが。
現在、木製は10枚程度残っていますが、いずれも同じようなデザインと大きさで、慈眼庵町のも何ら疑問は持っていません。
保存状態は非常に良くトップクラスです。
それよりも、老舗の暖簾のように町内で非常に大切にされている様子が窺えるのがとても嬉しいですよね。
仁丹町名表示板への思い入れなど、またお話をお聞かせください。
こちらこそ、宜しくお願いします。
木製仁丹に出会えたなんて、運がいいか、観察力に優れているか、どちらかですね。
みつけられたのは、shimo-chanさんの言われている通り、慈眼庵町の木製仁丹だと思います。
みんな仁丹町名表示板の魅力に引きつけられ、自然に集まったメンバーです。
新しい仁丹の情報があると、探訪会をやったり、とてもとても不定期ですが、オフ会などを行います。
集まりがあれば、またお誘いしますね。今後とも、宜しくお願いします。