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CATEGORY:文化・歴史

2006年05月27日

高瀬川の舟入&源流を求めて。

高瀬川(たかせがわ)
慶長11(1611)年頃に角倉了以が開削した運河で、
大阪から京都の中心部に物資を運び込む舟運が盛んに行われ、
最盛期は百数十艘の高瀬舟が上下していました。
その高瀬舟の名称から「高瀬川」となったそうです。
この高瀬川スタート地点・舟溜まりの最上流にあったのが、この「一之舟入」。
地図はこちら







































































































(この舟入の中では、鯉・鮒・タイワンなど大物が生息していて、
当時のガキ達は石垣伝いに中にもぐり込み、伝説の釣果に夢をはせたものでした。
しかし、日銀の警備員に見つかると怒られるので必死でしたね)

その舟入の設置は、10箇所以上にも及びましたが、現存するのは、この一之舟入のみ。
地名などに、舟入の名残を見つけることが出来ます。
 ・学区名で、「菊浜学区」(河原町五条下ル)というのがあり、「菊浜」の舟入名が残ったもの。
 ・また、七条米浜郵便局(三ノ宮通正面下ル)も、やはり、舟入の「米浜」の名称からきている。
 ・さらに、七条河原町の交差点は以前、「七条内浜」と呼ばれていたが、
  これも舟入の「内浜」からきており、この一帯は東西350mの大きな町内で、材木町と呼ぶ。
  材木の集積地だったのでしょうか。

そのことから、木屋町筋には材木問屋(坂本龍馬が隠れ住んだという酢屋も材木問屋)をはじめ、
多くの問屋が軒を連ねていました。
当然、様々な情報が都にいち早く届く場所ともなったわけで、
江戸時代、諸藩の屋敷が多くこの地域に集結していたり、
幕末、血なまぐさい風が吹き荒れたりしたのも頷けるということです。


●さて、「高瀬川」源流の方ですが、
 現在、「がんこ高瀬川二条苑」になっていて、高瀬川源流が庭園を流れています。
 この庭園は、「無鄰庵」や「平安神宮」の作庭を手がけた小川治兵衛の作で、
 明治時代・山縣有朋の別邸「第二無鄰庵」となり、
 1,100坪の敷地のうちの80%が地泉回遊式庭園となっています。






































では、この流れはどこから来ているのでしょうか。

上の図面が、その種明かしになっているのですが、
上が東(鴨川)・下が西(木屋町通)。
矢印は、水が鴨川から庭園に入り、木屋町通へ抜けていくことを示しています。
正確には、鴨川からもう一本、小さな川を経て、庭園に水が引かれ、木屋町の高瀬川へとつながっていきます。

下が、鴨川からの水を取入口。
その最源流部の写真です。 地図はこちら































これが、取入口の拡大ショット。
こうして見ちゃうと、何てことないですけどね。
水は、このあと丸太町橋と二条大橋の真ん中あたりまで暗渠で水を引かれ、
突然、「みそそぎ川」という名の川となってすがたを現します。




















次の画像が、「みそそぎ川」誕生の図です。
ここから鴨川の西を平行して南流していきます。





































流出口の上に「みそそぎ川」の文字が。 地図はこちら

実は、小学生の頃、この口の中に入っていき魚取りをよくしていました。
おやじも子供の頃、真っ暗の中を100m位まで潜入して、手掴みで魚を捕まえていたらしいです。
今話を思い出すに、おやじが捕まえていたのは、ギギではなかったかとと思います。
当時、羨ましかった私は、必死で潜り込みましたが、眼前のブラックホールの恐怖に勝てずに、20m位が限度でした。
今は、私のように潜り込んでいる人は見ませんが。
危ないので、やめましょう!






































二条大橋の上から下流をみた図。
みそそぎ川に、中央分離帯が現れ、川が二つに分けられています。
この右側(西側)の川が、高瀬川へとなっていきます。

































西側の川が、「がんこ高瀬川二条苑」の庭園内に入っていきます。
正にこれが、高瀬川の始まりです。 地図はこちら



































あとの東側半分の川は、この取水堰から段々滝になって、さらに南流を続け、
京都の夏の風物詩になくてはならない、納涼床の下を流れるせせらぎとなっていきます。





































夕方5時位でしたか、すでに「on 床」状態の羨ましい姿を見ながらの撮影でした。































「がんこ高瀬川二条苑」を」流れ抜け、木屋町通の下をくぐり、
これが正真正銘の高瀬川の流れ出しです。























上の写真の木屋町通路上の様子です。
前方に、高瀬川の低い石造りの欄干がみえますが、
道路左側にも、同じ欄干が申し訳程度に作られています。
確かに、下を高瀬川が横切って流れているという証ですね。
この部分は、暗渠じゃなくて、あくまでも橋ということを主張しているようです。


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Posted by ずんずん  at 14:20 │Comments(5)文化・歴史

COMMENT
ありがとうございます。これで一つ謎が解けました。何度か下鴨まで、鴨川西岸を自転車で走って、取水口を探したのですが、見つけられませんでした。
Posted by こやまきたろう at 2006年09月04日 01:23
こやまきたろうさん、お役に立てて光栄です。

小学生の頃は、この辺りが魚取りのナワバリでした。
その頃に、みそそぎ川の水が、どこから来て、どこへ行くのか、
知りたくなって探検をしました。
南端は五条大橋の手前で鴨川に流れ込んでいますよね。

この何十年振りかの探検で、思い出したことがあります。
今はなくなってしまっていましたが、
みそそぎ川に沿って幅40cm位・深さ30cm位の小さな川?溝?が走っていました。
その小川にも、石垣の隙間から漏れ出した
みそそぎ川の水が流れていて、魚が沢山いました。
小さな子らは、まだ鴨川やみそそぎ川での魚取りは危ないので、
その小川で魚を取って、鴨川デビューをするのです。
いっちょ前に、兄貴のお古の手網なんか持ったりして。。。
Posted by ずんずん at 2006年09月04日 16:36
岡山で高瀬通しや倉安川を見ていましたので、高瀬川を一の船入りを東と西から見て、五条まで追いかけて歩きました。遊郭も教えてもらい、高層建築の中に古そうな邸宅があるので何だろうとは思いましたが、さすがに高瀬川源流庭園にまでは気が付きませんでした。また禊ぎ川も見ていましたがその意味するところまでは気が付きませんでした。
このページを拝見して全体が理解できました。次の機会には是非取水口から見てきたいものです。
また、七条辺り?の排水路はどのようになっているのでしょうか。
Posted by わなみやひろ at 2008年08月15日 06:41
わなみやひろさん、はじめまして。
一之舟入から五條楽園までを探索されましたか。
なかなか、わなみやひろさんもお好きですね。

>七条辺り?の排水路はどのように・・・
高瀬川は、五条から七条と南下して、
ちょうど十条の陶化橋のところで鴨川に合流します。
そこで一瞬終わりかと思うところですが、
ここから高瀬川は、鴨川とX交差して鴨川から分流し、さらに南下を続けます。
そうして、東高瀬川・旧高瀬川となり、
伏見の町へと入ってゆきます。
最終点は、中書島の伏見港になります。
伏見・中書島には、あの有名な寺田屋などもあるように、
近代以前は、大阪から京都へ交通の要衝でした。

そんな感じですが、お答えになりましたでしょうか。
ただ、わたしもこの数年、現地確認をしていませんので、
違っていたらお許し下さい。
Posted by ずんずん at 2008年08月16日 13:29
高瀬川と交通の全体像を知りませんでしたのでたいへん参考になりました。伏見大社には前回行きまして、神楽奉納も見ています。伏見から伏見港に興味が出ました。ありがとうございました。
Posted by わなみやひろ at 2008年08月18日 07:09
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