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CATEGORY:森下仁丹看板

2008年08月30日

仁丹町名表示板 消滅!そして復活?下京區福島町

仁丹看板を求めて、京都の町を彷徨い歩き、

衝撃の木製看板に出会えて感激の涙を流せば、

はたまた、有ったはずの看板が跡形もなく消えていて落胆の涙を流す時もあり・・・

悲喜こもごもの日々です。

しかし、こんな涙もあるものです。


場所は下京区東洞院通楊梅の交差点。

その看板たちに、向き合ったのが2006年7月でした。

ちょうど南西角のお家の二階軒下に、定番の設置パターン。

角越しに、数センチの違いで表記がコロッと変わる楽しさを見せてくれています。

さらに、東洞院側の看板は、『楊梅下ル』とせずに『五條下ル二丁目』としたところに、

そのこだわりの面白さにワクワクしてしまいました。






そうして、約一年後の2007年6月。

また、ちょこっと嬉しくさせてもらおうと、再びその場を通りかかったのですが・・・



なんと、あの町家は跡形もなく消え、そこは完璧なコインパーキングに変身していました。

あららら・・・ここにも来たか!コインパーキングの波が!


あの看板たちは無事か?!

あわてて辺りを見回してみると、

東洞院側の看板が、ライオンズクラブのNEW看板と仲良く、

新たに設置されて生き残っていたのです。



トタンの波板の上に、綺麗に設置されていました。

よかったね・・・



ならば、もう一枚の「楊梅通東洞院西入」は無事か?

楊梅通の方を、ずず~んと眺めてみましたが・・・・



その姿は、とうとう見ることはできませんでした。

一枚消えて、一枚生き残るかぁ~。




そうして、またまた月日がたち、2008年1月のことでした。

さらに再び、この場を通ることがあったので、

【東洞院通五條下ル二丁目】は元気かな?

「あぁ、有る有る。」と、元気な姿を確認した後、

楊梅通もひょこっと覗いて見たのです。



すると・・・・ うぬぬぅ、なんか付いてるぞ????

一番右端のお家の壁に。



さらに前進!ずんずん前進!!!






おいおいおい。復活しとるやんか!元気やったんやん。

そうかそうか。よく、復活してくれましたよ。



真新しいネジで、しっかりと壁に取り付けられていました。

それの大礼服の仁丹さんは誇らしげでした。

しばしその場で、うれし涙に唸ってしまいましたよ。



よ~く考えたら、町家を取り壊してパーキングになさったお家の方と、

それぞれ看板が新に付けられたお家の方とは、

おそらく持ち主が別々でしょう。

ですから、家の壁面に看板を付けてもらえるように、わざわざご相談されて、

皆さんがお互いに設置の協力を快諾されて実現できたことでしょうね。

仁丹看板って、京都のみんなに愛されているのを、

あらためて実感できた事件でした。



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Posted by ずんずん  at 13:02 │Comments(10)森下仁丹看板

COMMENT
これで謎が解けました。

先週の金曜日、仕事でこの道を通ったのです。
そして、2枚連続してあったのはこの角じゃなかったけ?と楊梅通を西から東へ向って歩きながら記憶が蘇ってきたのですが、「あれぇ~」といった違和感を持ちました。
コインパーキングを見て、看板の位置が変った?という疑問もふと持ちましたが、解決させないまま宿題にしておりました。
後を振り返らなかったので、もう1枚は気付きませんでしたが。

更地になった土地に、仁丹看板ではありませんが、その他の町名看板がポツンと取り残されて、立てかけられている光景を3度ほど見ていますが、処分するものではないという考えが、家屋の所有者のみならず、もしかしたら解体業者の方々にもあるのかも?と近頃思っています。
Posted by shimo-chan at 2008年08月30日 17:40
コインパーキング化して看板が消えてしまうって本当に寂しいし残念です。
以前自分も、上御霊の小川だったかな、角にあった看板がコインパーキング化して消えてしまったときに寂しい思いをしました。

でもこういう復活もあるんですね!業者の方、地権者の方、周辺の方でうまく看板を活かして欲しいと心から思います。
Posted by idecchi_20006 at 2008年08月30日 20:58
6月27日会社帰りに東洞院を京都駅に向かって歩いていて、この2枚をカメラに収めましたが、そんな深い歴史があったとは驚きです。
Posted by ろくすけ at 2008年08月30日 21:42
ほんとうに心温まる情報を教えてくださりありがとうございました。
なにげなく張られている看板にも幾多の歴史があることが、ずんずんさんのおかげでわかりました。京都市新景観条例でやっさもっさやっている間に京都の一番京都らしいものが消えていっているんです。

それはそうと5枚目の 楊梅通の方を、ずず~んと眺めてみましたが・・・・という写真。
この写真があるから説得力が増すんですがなかなか撮っておけないものです。
 2006年12月19日の消えた看板~丸太町通新烏丸西入でも驚いたんですが、このときも最後の町家を撮っておかれていました。
ずんずんさんの町名表示板に対する打ち込みようが現れていて感服します。

私たちも虐待されている町名表示板を見たとき、なにかメッセージを残せるように、できればなあと思う今日この頃です。
Posted by ゆりかもめ at 2008年08月30日 23:11
>shimo-chanさん
コインパーキングや真新しい更地を見かけると、
あれっ?ここ前何だったっけ、って気になります。
よーく観ると、空き地じゃないけど、
もう売りに出されている町家の多いこと、
恐ろしくなります。
Posted by ずんずん at 2008年09月01日 17:44
>idecchi_2006さん
ご無沙汰してます。
こういう復活がたくさん増えると嬉しいのですが、
現実問題、なかなか少ないでしょうね。
保存はされても、室内保存や個人的に保管されて、
もう姿を見ることができない形になってしまっているものも少なくないように思います。
やっぱり、仁丹看板はその表記の場所に設置されて、
活用されることで生きてきますから、
もっとこんな事例が増えて欲しいものです。
Posted by ずんずん at 2008年09月01日 17:53
>ろくすけさん
この仁丹看板が生きてきた時間からすると、
ほんの昨日今日のことでしょうが、
ここ近年の変化は、今までの何十年分にもなる変化・・、いや、もっとそれ以上でしょうね。
Posted by ずんずん at 2008年09月01日 17:56
>ゆりかもめさん
「ずず~んと眺めてみましたが・・・・という写真」を撮っていたのも、本当に偶然でした。
ただ、仁丹看板を撮影する時、いつも思うのは、
その仁丹看板が付いている町の姿も収めておきたいという思いなんです。
BLOGにはあえてその画像まではアップしないようにしていますが、
その看板が生きている町があって、また仁丹看板もいき続けることが出来ると、日々実感しています。
いつまでも、京都が気持ちの通った町であり続けて欲しいです。
Posted by ずんずん at 2008年09月01日 18:05
大変な物語で、感動。

仁丹看板は文化遺産的雰囲気を出していて、みんなそれを感じ取っているのでしょう。
Posted by 愚 at 2008年09月03日 14:05
愚さん、コメントありがとうございます。
ほんとうに、人知れず物語が生まれています。
仁丹看板探しの旅も、
感動したり、怒ったり、落胆したりと、なかなか大変です。
これからも宜しくお願い致します!
Posted by ずんずん at 2008年09月03日 22:13
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