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CATEGORY:森下仁丹看板

2008年11月18日

仁丹町名表示板 大津シリーズ「雄琴千野町」

一昨日、買い物に出た帰りに、
紅葉を楽しもうと、ちょっと寄り道したら、
見つけてしまいました。





今まで何度も通っていたのに、
こんなところにあるはずがない、という思いが、
見落とさせていたようです。

"千野"と書いて"ちの"と読みます。
尾根伝いに連なる集落は、谷を挟んで大きく二つに別れています。

この千野が大津市に編入したのが、1951年(昭和26)4月1日。
滋賀郡雄琴村から、大津市雄琴千野町となったのです。

この表記からすると、この手の仁丹看板の設置は戦後だったのかな?
昭和26年以降ということのようですね。



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Posted by ずんずん  at 02:03 │Comments(26)森下仁丹看板

COMMENT
ずんずんさん、やっちまったなあ!!
坂本以北は無いと思っておりました。
世紀の大発見。おめでとうございます。
Posted by ゆりかもめ at 2008年11月18日 08:09
ゆりかもめさん
早々のコメントありがとうございます。

最北なんていうのは、何も気付いていませんでした。

本当に、よく自転車やバイクで散歩するコースで、
住まいが近くなもんで、「えっ!こんなところに…」というのでビックリしてしまっていました。

これって、やっぱり昭和26年以降ってことでしょうか。

ゆりかもめさん、どう思います?
Posted by ずんずんずんずん at 2008年11月18日 13:06
「大津シリーズ」開拓おめでとうございます。続きが楽しみです。
Posted by ろくすけ at 2008年11月18日 15:13
ろくすけさん
コメントありがとうございます。
"開拓"なんて、おこがましい。
最近はまったくもって、サボっております。

仁丹看板の神さんが、
「こいつ、ちょっと餌やらな、動きよらへんさかい」
みたいなことを思わはったんかも知れません。
Posted by ずんずん at 2008年11月18日 17:24
皆さんご承知の物件と思いますが、久しぶりに発見したので、うれしくて筆をとりました。山科聖天から南禅寺へ抜ける山道を一時間かけて歩いて、哲学の道を北上したら、「浄土寺南田町」あり。あんな所ははなからないときめこんでいたのが間違いでした。私にとっての発見も聖天さんのおかげかと思案した次第。
Posted by てくの坊 at 2008年12月12日 16:19
てくの坊さん
ご無沙汰してます。
てくてく探索の旅は継続中なのですね。
「浄土寺南田町」の看板、僕はまだ知らなかったです。
これは、早速拝見に伺いたいと思います!
ところで、この浄土寺モノは、
この看板と、あと「浄土寺西田町」くらいですかね?
浄土寺って、残っていそうで意外と無いエリアですもんね。

追伸
先日、NHKの「関西思い出シアター」で、昭和63年頃の花見小路の風景が映っていた中に、なんと仁丹看板も映っていました。
しかし、現在は消滅看板でした。
残念!
Posted by ずんずん at 2008年12月12日 22:22
皆さん、「京都・もう一つの町名史」(水谷憲司)という本を知ってはりますか。この本(^平成七年刊)に、浄土寺の付いたものは「西田町」が2枚、「馬場町」が1枚巻末のリストにのっています。西田町の一枚は、もちろん銀閣寺道のあれですが、他にあるでしょうか。もちろん、この本が発刊された七年から現在までに消えた可能性は充分ありますね。
ちなみに、この本は市立図書館には一冊もありません。府立に一冊あります。それから、著者の水谷さんは、1200枚の仁丹を写真に撮ったといわれてます。
Posted by てくの坊 at 2008年12月13日 17:06
>てくの坊
「浄土寺南田町」ってそんなところにあったのですか。実は、京都新聞社の「京のおもしろウォッチング」という本にこの看板が載っていたので、探しに行ったものの見つけることができませんでした。そうですか、哲学の道を歩けばよかったのですね。私も”はなからないときめこんで”いました。
Posted by shimo-chan at 2008年12月15日 21:45
あっ!失礼しました。てくの坊さん。敬称を省略してしまいました。ごめんなさい。
Posted by shimo-chan at 2008年12月15日 21:47
>てくの坊さん

「京都・もう一つの町名史」はこの夏に府立資料館で見ました。それに気付いたきっかけは、一昔前に買った泉麻人氏と町田忍氏の「ホーローの旅」なる書籍の仁丹部分を読み返してでした。

まさしく仁丹だけの本なので驚きました。そして、疑問の持ち方、その解決方法などは私たちと同じです。やはり、考えること感じることはみんな同じなのですね。上京区の主税町に看板が存在しない理由を解き明かして満足していたのですが、水谷さんもとっくに解明済みでした。

巻末のリストですが、今は消滅したのもあるし、また水谷さんが発見されていないのもあるようです。自分のリストと照合するのは大変な作業ですが、こんなとこにもあるのかと思った「七條御所ノ内本町」は今も存在していました。
Posted by shimo-chan at 2008年12月15日 22:47
>てくの坊さん
>shimo-chanさん
「京都・もう一つの町名史」、
まったく偶然、この本をネットの古書店で見つけて、
正に先日、手に入れたところです。
この頃からでも、現在既に無いものも多数あり、
しかし、水谷氏も見つけてられなかったものを現在見つけたり、
あらためて仁丹看板の探索の難しさを痛感した次第です。

この本は、仁丹看板探しには、バイブルのような本ですね。
面白い本です。

因みに、まだ「浄土寺南田町」見にいけてません。
西七条の仁丹看板たちが、最近建て替えの波に脅かされています。
はっきりしませんが、1枚は消滅したようです。
心配になり、「七條御所ノ内本町」も見に行きましたが、
shimo-chanさんの確認情報どおり、無事でした。

仁丹看板への認識が高まる中で、
設置条件が、今までよりも良くなったものも有れば、看板が消滅してしまうもの有り、
なかなか難しいものです。
Posted by ずんずん at 2008年12月16日 12:52
『京都市今昔写真集』という本がいよいよ発刊しました。
出版社の樹林舎のHPで、新刊紹介のミニブログがあって、
そこで、結構たくさんの写真を紹介解説してくれています。
その中の、肥たんごを運ぶ牛車の写真に、"一乗寺才形町"の仁丹看板が写っていました。
一乗寺地蔵本町と同じ筆跡の超太字看板です。
この頃には、一体どのくらいの数があったんでしょうか。
旧上下京区なんか、四辻ごとに2、3枚あったんと違いますか。
それはすごいですね。
ちょっと、そんな京都を歩いてみたいです。
Posted by ずんずん at 2008年12月19日 10:59
>ずんずんさん

>この頃には、一体どのくらいの数があったんでしょうか。

そうですよね。仁丹の設置枚数、そもそも昭和初期のスタート時点ではどれほどの数が設置されたのだろうか?と誰しも考えますよね。水谷さんの時代で約1,200枚が確認され、そしてゆりかもめさんが約700枚確認されたとのこと。そこで、ひとつの試みをしてみました。あくまでも大雑把なものですが。

町名の数は、上京区で638、中京区で522、下京区で579個あります。多少の無人町が混じりますが、ひとつの町名で複数設置されていることもあるのですから、無人町は無視しても問題ないでしょう。これら上・中・下だけで少なくとも合計1,739枚となります。これに東山区の280を加えると2,019枚。少なくとも1つの町名に1枚はあったとすれば中心区だけで2,000枚は下らないでしょう。

次に周辺区です。これが非常に悩ましいのです。
先ずは上・中・下・東山と同様の状況にあった市街地エリアとして、北区は柏野学区14、紫野学区23の計37の町名。左京区は新洞学区17、川東学区18、聖護院学区9、岡崎学区17、吉田学区15、養正学区19の計95の町名。南区は九条学区9、弘道学区13、山王学区12、南大内学区6の計40の町名。伏見区は板橋学区76、住吉学区47、南浜学区75の計198の町名。これらの合計は370枚。先の上・中・下・東山の2,019枚と合わせて合計2,389枚となります。伏見区はちょっと大きくカウントし過ぎかなという疑問も残るのですが。

そして、下鴨、上高野、山端、松ヶ崎、一乗寺、修学院、太秦、嵯峨野など、街道沿いのパターンや“京都市編入記念”的なパターンなどは実に難しいですね。現在の町名数をそのまま拾うのは明らかに間違いでしょう。とりあえず、異論覚悟で現状から控えめに推察して、下鴨5、上高野15、山端5、松ヶ崎5、一乗寺15、修学院15、太秦10、嵯峨野10、さらには紫竹、大宮、花園、大将軍などにもありましたので、100枚程度は上乗せできるのではと考えられます。

これらすべてを合算するとおよそ2,500枚程度となります。ただし、これは1つの町名につき1枚設置されたらという数字ですから、仮に2枚ずつ設置されたとしたら5,000枚、平均1.5枚ずつだったら3,750枚程度という数字になります。もし、2,500枚だったとしたら、70年も経過した水谷さんの時代に50%程度しか減少していないこととなり、高度成長期やバブルの洗礼を受けたにもかかわらず残りすぎという印象です。平均2枚ずつというのも多すぎるように感じますので、4,000枚程度が妥当なところなのでしょうか? 町名の数から詰めてきましたが、最後はいささかいい加減な決め方となってしまいましたが、はたして真相はいかに?
Posted by shimo-chan at 2009年01月03日 22:04
[京都発]京都の仁丹町名表示板愛好者の間で『仁丹語辞典』が発刊された。その中から主なものをあげると次のようなものである。
[ジンタニアン]仁丹町名表示板をこよなく愛する人をさす。
 [仁丹眼]通りの古そうな人家の一階ニ階、さらには地べた近くにも油断無く眼を走らせることをいう。そのため、どんな美人とすれ違っても気がつかない。
 [引っ込み仁丹]雨とゆの陰などに隠れている仁丹をいう。「はにかみ仁丹」ともいう。「千本通寺之内上ル西入西高辻北町」などが代表例。
 [地べた仁丹]地べた近くに放置されている仁丹をいう。御前通今出川上ル二丁目東入下ル北町」などが典型的。
Posted by てくの坊 at 2009年01月09日 16:18
『仁丹語辞典』つづき
[箱入り仁丹]過保護状態で、人目にふれず、道案内の役割をはたしていないものをいう。「四条通西洞院西入傘鉾町」などがそれにあたる。
{ミゼラブル仁丹}ちぎれたり、琺瑯がはげたりして、かわいそうなものをいう。「上高野口小森町」など、枚挙にいとまない。
Posted by てくの坊 at 2009年01月09日 16:25
>shimo-chanさん
ざっと計算しても4,000枚ですか。
すごい枚数ですよね。
地味で手間な作業ですが、とっても大切な試みですね。
よくぞ、試算してくれましたよ!shimo-chanさん。
水谷さんの時代で約1,200枚確認されて、
現在の概算が、ゆりかもめさんの約700枚、
去年のてくの坊さんが500枚+α、
時間が経つにつれて、当然ながら減っていますね。
特に、この15年程の減り方が極端。

先日通りかかった「朱雀裏畑町」の看板が、
やっぱり消滅してました。
建て替えに寄るものでした。
わかっているので、朱雀は残2枚です。

やっぱり絶滅危惧種入りも時間の問題かなぁ。
Posted by ずんずん at 2009年01月09日 16:31
>てくの坊さん
やっと、哲学の道「浄土寺南田町」見てきました。
今の冬枯れシーズンには、白い文字盤が目立ちますね。
でも、無いと思う先入観が目をつぶらせていたようです。
いやはや反省です。
Posted by ずんずん at 2009年01月09日 16:40
>てくの坊さん
なんと、ほぼ同時コメントですね。

『仁丹語辞典』面白い!僕的には、[引っ込み仁丹]の語呂が、ヤケに受けてます。
錦小路通東洞院東入北角直ぐ・竹田町?
(町名表記までは確認出来ず仕舞い)の[引っ込み仁丹]が消えて数ヶ月経ちましたが、
今はスタバですからね。驚きです。
でも残してもらえてたら、
スタバに仁丹看板って、結構イカしていますよね。
ここで一句
「仁丹の看板見るたび思い出す
 あのミゼラブル
 このミゼラブル」

お粗末様です…
Posted by ずんずん at 2009年01月09日 17:09
『仁丹語辞典』、こんなのもいかがでしょうか?

「ジンタ~ン」 ある通りを往復するため、適当なところでUターンすること。

仁丹は同じ道を同じ方向に何回歩いても見つからないものは見つかりません。やはり、手(足?)を抜かずに両方向から歩かねばなりませんよね。

あと、お地蔵さんといっしょに祀られて神格化している仁丹、町内の家宝のように各種表彰状とともに掲げられている仁丹、電柱に縛り付けられている仁丹も何かネーミングしたいですね。
Posted by shimo-chan at 2009年01月13日 22:20
見てきました。!!雄琴千野町最高でした。
そこから山越え12km坂本本町の町名表示板を探すべく、てくてくてくてくまたしても振られました。
Posted by ゆりかもめ at 2009年01月26日 17:31
>shimo-chanさん、コメントもらっていたのに、
見落としててゴメンナサイ。

大好評の『仁丹語辞典』に続いて、
待望の『拾遺・仁丹語辞典』発刊ですか♪

まったくもって「ジンタ~ン」は、ジンタニアンにとって、必修科目ですね。
無意識に、ジンタ~ンを行動に移せるように、
日頃の鍛錬が肝要です…
というか、自然と身についてしまいますよね。
皆さん、お互いに会ったこともない方々なのに、
なぜか行動パターンが同じという、
想像すると、なんか笑えてきました。
"オモロい"か"キモい"か、結構紙一重というとこでしょうね。

仁丹さんのお陰で、アハ体験を数知れず経験させていただきましたが、
次はいかなるアハが待っているか、
楽しみですな~
Posted by ずんずん at 2009年01月29日 16:57
>ゆりかもめさん
見てこられましたか!
寒かったでしょ。
ようこそ、いらっしゃいました。
普通、見つけようと考えて行かないです♪

あぁ、雄琴千野町の看板の前で、180度振り返ったら風邪薬の木製看板があったんですが、
気づきました?

>そこから山越え12km坂本本町の町名表示板を探すべく、てくてくてくてくまたしても振られました。

おそらく、我が家のすぐそばを通られましたね。
坂本本町、僕も気にはなっているんですか、
まだ現存しているんでしょうか?

坂本も賑やかな季節がもうじきです。
節分には星光院で鬼が出てきますし、
3月第1日曜は、"御輿上げ"といって、
4月の山王祭で八王子山から降りてくる神輿を山の上に上げます。
そして山王祭です。

春が待ち遠しいですね~
Posted by ずんずん at 2009年01月29日 17:22
皆さん、「右京区秋街道区域」が2枚有るってご存知でした?昨日、有栖川温泉天山の湯に入って、そのあと一杯やって(働いている皆さん、ごめんなさい)、蛇塚古墳を一回見ておこうと三条通を東に歩き始めました。かの秋街道の仁丹から100mくらいでしょうか。空き地に立った電柱に「電柱緊縛タイプ」の仁丹あり。感激。ご存知ない方のためにもう少しくわしくいうと、かの仁丹を右に見て歩いていくと、酒の広告がぶらさがっいる先、美容室エルムの先の空き地です。西の仁丹よりくたびれています。感激を伝えたくて、マウスを握りました。
Posted by てくの坊 at 2009年02月27日 14:08
てくの坊さん、ご無沙汰してます。
そうですか!
久々に仁丹・感動の虫が騒ぎました。
やっぱり、まだまだ眠ってますねぇ。
てくの坊さんも、どこに行ってもついつい捜してしまう癖が染み付いてるんじゃないですか。
相変わらず、僕もそうですよ。
「秋街道町」、今日早速見に行ってきます。
Posted by ずんずんずんずん at 2009年02月28日 08:29
「右京区秋街道区域」、やっぱりまだあったのですか。
例の水谷さんの本によれば、合計3枚あったと記録されています。”近くの脇道の細い路地の塀と、通りから入り組んだ奥の電柱”と。
で、これを頼りにほんの2週間前のこと、自転車で探索したのですが、見つけることができませんでした。大きな駐車場になっているところもあるので、消滅したかと諦めて帰ってきた次第です。
どうも、私の”センサー”はまだまだ鈍いようです。改めて行かなくちゃ。

ところで、右京区の高田町も相当古い街並みなので探索したものの、私には発見できませんでした。
Posted by shimo-chan at 2009年02月28日 09:48
shimo-chanさん、ご無沙汰してます。
あの本を手に、だいぶ回られましたか?
やっぱり、てくの坊さんの様に、てくてくが一番ですね。
僕も普段は自転車ですけど、
ここぞという場合は、自転車を手押しでてくてくで行かないと、
見落としてしまいますね。
あの辺りの昔は、嵐電の線路すじが今と違っていて、
三条通と重なっている部分があったようです。
町並みもどんなだったか、興味深いとことです。
さっそく秋街道町行ってきましたよ。
記事アップしますので、見てください。
Posted by ずんずんずんずん at 2009年02月28日 11:56
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