CATEGORY:森下仁丹看板
2006年12月02日
町名表示板 烏丸通花屋町下ル
東本願寺の総会所の軒下にしっかりと残っているのです。
仁丹看板が、公共の建物や寺社仏閣の壁などに設置されている例は非常に稀で、
この看板は、その珍しい例の一つです。
烏丸通に面した”烏丸通○○○”の表示板も、めっきり稀少なのです。
「二丁目町」とある町名も、現在は「烏丸二丁目」。記述ミスか?昔は二丁目町だったのか?
仁丹看板が、公共の建物や寺社仏閣の壁などに設置されている例は非常に稀で、
この看板は、その珍しい例の一つです。
烏丸通に面した”烏丸通○○○”の表示板も、めっきり稀少なのです。
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平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
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「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
今年も祇園祭の山鉾巡行に参加したのですが、
雨で大変でした。(^_^;)
今後もよろしくお願いします!
今年の祇園祭・山鉾巡行に参加されたんですか!
ほんと雨で大変でしたよね。
私も、カメラ片手にパンツの中まで濡れました。
夜は夜で、神幸祭もグッショでした。
この看板、奇妙なのです。
実は、町名毎にコード№を付けて、それを撮り溜めた仁丹の写真のファイル名にして整理しているのですが、この看板の町名が見当たらなかったのです。
地図を見ているとそこは「高槻町」になっていて、さらによく見るとそのすぐ西側に「烏丸二丁目」なる町名があります。おそらくはこの後者の「烏丸二丁目」のことを言っているのではないかと思うのですが、この烏丸二丁目は烏丸通と東本願寺で占められており、そこには家屋が全くないのです。つまり今は無人町というわけです。
烏丸通は東本願寺の前でクネッと曲がっていますが、これは市電が東本願寺のすぐ前を走ってもらっては困ると、東本願寺が不明門通までの敷地を購入し、それを京都市に譲り渡して市電を通させたということです。ですから、この時に烏丸二丁目の家屋が消滅し、看板だけが記念にと”公共の場”である寺院に残されたのでは、と推理しました。
しかし、ここに市電が開通したのは明治45年だったのです。そんな古い看板ではありませんしねぇ、結局、謎の町名なのです。
やはり町名変更という線が濃いのでしょうかね? 要継続調査といったところです。
そうなんです。
いろいろ推理してみて、謎解きの楽しみに浸ってしまうのです。
明治45年・市電を走らせるときに烏丸通が湾曲したわけですが、
その新しい湾曲烏丸通の道に沿って、烏丸二丁目の町境界線が引かれているところに疑問がわいたのです。
それって、町域が変わったことを意味しません?
MAP画像を貼って説明したいので、引き続きはBlog記事にUPします。
ご参照下さい。