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CATEGORY:森下仁丹看板

2006年12月02日

町名表示板 大和大路松原界隈

松原通は、昔の五条通。

松原橋を渡って鴨川を越えると、清水坂から清水寺まで駆け上がりの参拝道です。

大和大路通はその名前の通り、大和・奈良への街道。

大和街道へと繋がっていきます。

大和大路松原界隈は、清水参拝道と大和街道の交差点。

さぞや、昔は賑わったのでしょう。

町名表示板 大和大路松原界隈

町名表示板 大和大路松原界隈

町名表示板 大和大路松原界隈



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Posted by ずんずん  at 05:49 │Comments(4)森下仁丹看板

COMMENT
さて、轆轤町の看板ですが、
以前、看板の剥がした跡を発見したとコメントしましたが、
それは、2枚目の轆轤町の看板でした。
これで、残念ですが轆轤町の看板はすべて
消滅しました。

本日、京都新聞の仁丹看板の記事拝見しました。
看板の価値を皆が認めたら、少しは消滅が減るかなとつくずく感じました。
Posted by でな桜 at 2010年02月20日 20:34
でな桜さん、ご無沙汰してます。

>轆轤町の看板、残念ですが轆轤町の看板はすべて消滅しました。

そうですか、消えてしまったんですか。
街頭から消えるのは本当に残念です。

骨董的価値を見出すのではなくて、生きた文化財としての意味を認識して欲しいと思います。
仁丹町名看板は、その明記された場所に貼られていてこその仁丹町名看板ですからね。

盗む方は論外ですが、売買する方や譲渡する方される方は、そこのところをよ~く考えてほしいですね。
これは、仁丹町名看板が、一般的なレトロ琺瑯看板とは大きく異なるところです。
今、仮に取り外して屋内に保存しておられる方は、いつしか再デビューを果たさせてやっていただくことを願うばかりです。
もしその後、引っ越しされて再デビューが叶わなかったとしても、そのお家の方の、家の歴史の語り部の一つとして生きるならば、それも良しかな・・・とも思ったりもします。
でも、沢山の仁丹町名看板が、街頭で生き残ってくれるのが一番ですけどね。


>本日、京都新聞の仁丹看板の記事拝見しました。

今年に入って、京都新聞社の方からこのブログのメール機能を使って問い合わせを頂き、電話取材という形でお話しする機会を得ました。

紙面にも限りがあり、私自身が緊張してしまって、思うところをお伝えできなかったと反省しています。
大切なことは、先ほどの繰り返しですけれど、
仁丹町名看板は、その明記された場所に貼られていてこその仁丹町名看板であるということで、
そこが一般的なレトロ琺瑯看板とは大きく異なるところだということです。
その点を再認識して欲しいと思います。

でな桜さん、また貴重な情報をお待ちしてます。

追伸
先日、万寿寺中之町のボロボロ仁丹を見つけました。
仁丹ツアラーの皆さん達なら既にチェック済みかもしれませんが、
私はいつもの道での発見だったので、ちょっとビックリでした。
Posted by ずんずんずんずん at 2010年02月23日 13:20
先日の土曜日,宴会へ出かけるときに,夕刊を取り入れて目が点に。まさに「なんじゃ,これ」の驚きでした。しかも第一面。時間がなくてそのときは読めず,宴会の最中気になって気になって。

記事中での登場は「やっぱり」ずんずんさんもだったのですね。この場での日頃の発言内容からして,ぜったい間違いないと核心していました。

先日見たオークションでは,出品者が愛知県でした。この実態,釈然としませんねぇ。潤沢な資金が私にあるなら,そういうの全部買い取って元に戻したいほどです。

でも,今回の記事で,様々な新しい事実が読者から寄せられるかもしれません。続編を期待したいところです。

ところで,「万寿寺中之町」のボロボロ仁丹,どこにありましたか? 
ちょうど1年前に見つけたときは,真新しいガレージの柵に立てかけてありました。おそらくそこに建っていた家が壊されて,仁丹だけが残されたのかなと考えています。あまりにボロボロなので,誰も持っていかないだろうと思っていましたが,その後通ったときにはもう姿がなかったのです。でも,今も生きているわけですね。
Posted by shimo-chan at 2010年02月23日 23:43
shimo-chanさん、ご無沙汰してます。

>夕刊を取り入れて目が点に。

そうですよね、あんなに大きな記事になるとは。
記者の方からはいつ記事になるかはわからないと聞いていたので、京都新聞を取っていない自分としては、友達に教えてもらうか、運良く見つけるか、と思っていたところ、でな桜さんにコメントをもらえてわかったというわけです。

>記事中での登場は「やっぱり」ずんずんさんもだったのですね。

仁丹町名看板については、もっと長く見続けて来られている先人の方々が沢山いらっしゃいますし、
その方たちを差しおいて取材を受けるというのは、どうしたものかと思いもしましたが、
仁丹看板を生きた文化財として再認識してもらえるきっかけになればという思いがそう決めさせましたね。

記者の方から、定期的にミーティングなどを開いているんですか、という質問があり、各自が各様に活動しておられる現状です、とお答えしたのですが、実際のところそういった集まりとかミーティングの様なことって、どうなんでしょうね。
季節もよくなってきたので、何か茶話会の様に集まれる機会があればなぁ~とも、思ったりもするんですけど、ご意見ご提案などありましたら宜しくお願いします。
各自のもちネタなどを持ち寄って、仁丹看板にまつわる場所を訪れたり、その地元の人にあったり。普段、僕は、仁丹看板だけでなく、できる限りその看板の付いているお家の方にお話を聞いたりするようにしてるんです。すると、思いもよらないお話を聴けたりするんですよ。
shimo-chanさんもそうだと思うんですが、軒先にジーっとカメラを向けていると、ご近所の方が疑わしげな眼差しをこちらに注がれ来ますよね。その時に、「これこれ、仁丹看板が好きなんですよ。それでカメラに収めさせてもらってます。ポリポリ(汗)」なんて話しかけると、ニコニコして会話が始まったりするんですよね。

>ところで,「万寿寺中之町」のボロボロ仁丹,どこにありましたか? 

shimo-chanさんのいう様な状態でそのまんまですよ。
あまりに無防備なので、画像記事のアップをためらってます。


ではまた、宜しくお願いします。
Posted by ずんずんずんずん at 2010年02月24日 16:44
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