CATEGORY:森下仁丹看板
2007年03月05日
仁丹町名表示板 三条通小川上ル
三条通周辺で、また見つけました。
前にも書きましたが、中京区が出来たのが昭和4年4月1日。
この仁丹看板は、それ以前のもので、この中京区の地に有りながら上京区の標記。
当時の上京区と下京区の境界線が三条通でしたから、ギリで上京区ということです。
因みに、すぐ隣りの看板は中京区標記になっていますね。
この町内にある「正一位 幾世稲荷大明神」。小さな神社ですが、この町内の鎮守なのでしょう。
丁寧に掃除・手入れされた境内は、とてもきれいでした。
京都市内には、このような小さな祠や神社が無数にあり、
今も地元の人たちの厚い信仰で支えられています。
昔は、このような場所が小さな子供たちの遊び場になっていました。
蝋石で地面に絵を書いたり、下駄隠しやかくれんぼなどなど、
道具が無ければ無いで、自分達で遊びを見つけて、臨機応変に遊んでいましたね。
遊びにも、臨機応変。 必要な時代でした。
前にも書きましたが、中京区が出来たのが昭和4年4月1日。
この仁丹看板は、それ以前のもので、この中京区の地に有りながら上京区の標記。
当時の上京区と下京区の境界線が三条通でしたから、ギリで上京区ということです。
因みに、すぐ隣りの看板は中京区標記になっていますね。
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平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
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