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CATEGORY:森下仁丹看板

2007年03月05日

仁丹町名表示板 朱雀裏畑町

ゆりかもめさん情報により、朱雀にての2枚目で~す。

朱雀○○町のエリアは、ぎりぎり看板が設置されていたようですが、

西七条になると皆無ですね。でも、もっと詳細に探せば出てくるかも。

未だに設置範囲が図りきれない仁丹看板です。

仁丹町名表示板 朱雀裏畑町


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Posted by ずんずん  at 19:51 │Comments(19)森下仁丹看板

COMMENT
きれいな写真をアップしてくださり感激です。
なかなかこういう具合には取れないんですよね。
西七条○○というのは北東野町にあります。もっと南にも何枚かあります。それは梅小路○○とか七条○○になってしまいますが・・・・・・。
Posted by ゆりかもめ at 2007年03月06日 08:21
>ゆりかもめさん
早速のコメントありがとうございます。
やっぱり存在しますか!
まだまだ西へ南へ。

この仁丹看板を撮影するようになってから、
やたらと軒下の明度の大きく異なる場合の、
撮影のコツがわかってきました。

今まで撮って記事にしていないものを、
一旦整理してUPしていきます。
そして、あらためて、さあ出発です。

今日、「京つうブログCafe」に参加して、
触発されてしまいました。
Posted by taka at 2007年03月06日 19:53
本日も有難う御座いました!

これからもよろしくお願いします。(^^ゞ
Posted by あか at 2007年03月06日 21:02
>あかさん
こちらこそ、今日はどうもありがとうございました。
とにかく、ブログで思いっきり楽しみたいと思っています。
楽しみ切ったら、何か見えてきますかね?
きっと、見えてくると思うのです。
これからも、春夏秋冬ずんずん参ります。
よろしくお願い致します。
Posted by taka at 2007年03月06日 21:43
ずんずんさんこんにちわ。
今回のコメントは、消失看板の情報ではありません(笑)
ご存知かどうか知りませんが、朱雀にはあと「朱雀正會町」があります。
Posted by でな桜 at 2009年07月14日 19:05
>でな桜さん
コメント、またまたありがとうございます。

>朱雀にはあと「朱雀正會町」があります。

以前に、てくの坊さんに教えてもらって撮影は完了してますが、正會町も電信柱に危うく残ってる類いでしたよね。ところで、この裏畑町はだいぶん前に消滅してるでしょ、残念ですが。
Posted by ずんずん at 2009年07月14日 23:25
ずんずんさんお久し振りです。
さて、取り直しの旅の途中で「西七條市部町」と「西七條東野町」を発見しました。ご存じかどうか知りませんが。

取り直しの旅を始めて感じた事ですが、消滅看板が多すぎます。半分程は建て替えで消滅したので仕方の無い事なのですが、あと半分位は盗難です。それも、殆どが手の届く位置の物ばかりです! くぎだけ残っている物や、くぎごと盗った物いろいろです。これには、くやしい思いですね。

アルバムの中から現存情報をひとつ。ご存じかどうか知りませんが、「東九條御靈町」があります。
Posted by でな桜 at 2009年08月15日 20:49
でな桜さん、残暑お見舞い申し上げます。
撮り直しの旅は、悲喜こもごもと言った感じの様ですね。
最近は、盗難を警戒するあまり、家内に入れてしまわれるお家もあるようです。
情報ありがとうございます。
西七条界隈の看板は、以前に回ったことがあったのですが、
その時、「西七條西野町」もあったかと思いますが、なかったですか。
去年、ブルーシートを張って改築工事をされていたので、その際に撤去されてしまったのかな。
ところで、「東九條御靈町」は知りませんでした。
「東九條中殿田町」がなくなってから、東九條にはもうないものと思っていました。
また楽しみが出来ました。ありがとうございます。
それから、押小路の木製は、町家ごと綺麗に無くなりましたね。
ちょっと危機感を持ってしまいます。

まだまだ暑さが続きますが、お体大切にお過ごし下さい。
取り直しの旅が素敵なものになることをお祈りしております。
また、情報お願いします。
Posted by ずんずんずんずん at 2009年08月16日 14:27
ずんずんさんこんばんわ。
さて、今回のコメントはしていいものかどうか迷いましたが。コメントします。少々長くなるかも知れませんが…

実は、僕の家には仁丹看板が1枚保存してあります。
ネットの危険性があるため住所の表記はいたしませんがご了承ください。当方には、「京都もう1つの町名史」の本がありませんのでわかりませんが、多分、存在の知られていない看板だとおもいます。なぜ、存在が知られていなかったかと言うと、その看板と同じものがあったのですが、その看板は今はもう無くなっているからです。
で、保存してある看板についてですが、その看板は僕の家の斜め向かいに多分30年位前にあった物だと思います。なぜならば、実際に設置してあるのを見た事が無かったからです。その斜め向かいの家はT字路にあるのですが、壁はコンクリートで塗ってあるのですが、角を曲がると一部では建築当初の木貼りが残っていました。実際ガスのメーターを外した跡は土壁と木の柱の一部が見えていました。
その壁の前にレンガが排水溝に沿って1列に並んでいまして、1年程前になりますがそのレンガの上に錆びた鉄板がおいてありました。何気にひっくり返してみると、何と仁丹看板でした! 裏は全面錆びだらけです。そこで、僕は推測したのですが、壁をコンクリートに塗り替えた時にそこにあった看板を外してそのレンガの上にひっくり返して置いたのでしょう。で、そのまま数十年の時が流れたのでしょう。実際、そのコンクリートの壁は一部ひび割れています。それで、そこに置いておくと盗難に遭うので取り敢えず家に持って帰って保存する事にしました。まぁ、同じ町内ですので本来の意味で家の柱にでも設置しようかと考えましたが、盗難に遭うと嫌なので家の中で保存してあります。それが1番マシかなと思います。

長い間悩んでいましたが、ちょっと気が楽になりました。(笑)
ほんとは、ちょっと見せびらかしたいとこもあるんですけどね。(笑)

長文すみませんでした。
Posted by でな桜 at 2009年08月17日 21:40
でな桜さん
ご返事遅くなってしまいまして、すみませんでした。
しかし、そんなことがあったんですか。
地元ならではのネタですね。
まだ、コンクリートに塗り替え時に、廃棄消滅しなかったことは、看板にとって幸運だったと思いますよ。
理解ある方の手で保存されているわけですから。
時が来たら、ぜひまた再デビューさせてやって下さい。
仁丹看板は、京都の街によく似合います。

とても貴重な体験リポート、ありがとうございました。
これからも、撮り直しリポート楽しみにしています。
Posted by ずんずん at 2009年08月20日 13:04
でな桜さん
「東九條御靈町」詣でてきました。
ありましたね。
よくぞ…という感じです。
まだまだ、興味のタネは尽きません。
看板を見るたびに、
地名や町名の由来由緒に思いを馳せてしまいます。

先月も祇園祭に因んだ看板と町名を訪ねました。
そこで、今まで知らなかったいろんなお話を聞くことができ、
あらためて、町名に隠された歴史あり、と感じました。

何も、メディアに取り上げられたり、
文化財の指定を受けたりしているわけではないのだけれど、
その小さな行事は、その地域の営みとして、
人知れず静かに続けられていました。
驚いたのは、町名の由来は過去の遺物ではなく、
現在進行形で今も町の方々に受け継がれていることです。

またこれからも宜しくお願い致します。
Posted by ずんずんずんずん at 2009年08月21日 20:15
ずんずんさん
無事「東九條御靈町」発見おめでとうございます。
ちょっとわかりにくかったんじゃあないですか。(笑)
この看板は、かれこれ10年位前に会社帰りに十条あたりから京都駅まで歩いた時に発見しました。見つけた時は、こんなとこに…と言う思いでした。
多分、南区で現存している看板では、一番南じゃあないでしょうか。過去には、「東九條札ノ辻町」の看板がありましたが、現在では消滅しています。

情報ですが、後残っているのは、消滅看板とすでに発見されてる物ばかりです。
何でしたら、消滅した看板を記載していきましょうか?(笑)
Posted by でな桜 at 2009年08月21日 20:47
でな桜さん
はい!苦労するんじゃないかと覚悟してたんです。
しかし、でな桜さんも経験あると思うんですが、
有るとわかって捜すのと、有るか無いか判らず捜すのでは、全然違うでしょ。
今回も鼻が利きました。
あの細い路地を、スッと入って・・・フッと見上げて・・・発見。
あの南北の正面の道路は、相当古い道ですね。
竹田街道が拡幅される以前の、東九条の姿を残していそうでした。

>消滅した看板を記載していきましょうか?
見るのが怖いけれど、もしよろしかったら、宜しくお願いします。
このコメント欄は、文字制限無いと思います。
Posted by ずんずんずんずん at 2009年08月22日 09:03
ずんずんさん
先日、ネットを検索していると、仁丹看板が出品されていました。
おやっ? と思い調べてみると3ヵ月前に取り直した物でした。
ネットに上がっているので住所表記はOKですね。
「大宮通寺之内上ル前之町」
出品者のコメントを読んで思ったのですが、「解体業者から譲っていただき…」とありますが、看板に理解のある方ならオークションには出さないと思います。
後は、落札された方が看板に理解ある方であると言う事を祈るばかりです。
で、オークションを見た翌日に現場を見に行きました。
まだ、工事が始まってすぐの様でした。
最近、この様な事が立て続けに見ていますので、少し嫌になりました。
この勢いで消滅看板を表記したいと思います。心して下さい。一部ですが…

「東山線仁王門下ル東門前町」(これは、記念すべき第1枚目でした。東山線って旧市電の名残りなので、思わず3枚も撮ってしまいました。
この当時、1回の撮影で24枚撮りフィルムを1本使用していました。ずんずんさんも経験あると思いますが、36枚撮りフィルムって高かったですよね。ですので、使用していたのは24枚撮りフィルムでした。)

「大和大路通團栗下ル西入博多町」

「清水三町目八坂通二寧坂西入」

「松原通中道東入上ル月輪町」

「中道通八坂通上ル上田町」

「東大路通五條下ル西入庵(イホリ)町」(これは、現存している看板とは違う物です。水谷さんのリストにも載っています)

「澁谷通本町東入本町二丁目」

「大黒町通五條下ル二丁目東入蛭子町北組」

「七條通大黒町西入西之門町」

「三條通神泉町西入下ル今新在家西町」(木造看板! 何も情報が無い時代に友人がお知えてくれました。)

「神泉苑町通姉小路下ル姉西町」

「姉小路通神泉苑町西入ル瓦師町」

「六角通神泉苑町西入ル今新在家西町」

「姉小路通大宮西入三坊大宮町」

「上立賣通寺町西入三筋目上ル藪之下町」

「寺町通今出川上ル三丁目西入毘沙門横町」(これは、現在残っているのとは別物。これがあった当時は、ブロック塀でみえませんでした。これも、2回目たまた通った時は解体の最中でブロック塀が無くなった後でした。)

ちょっと嫌になってきたので、これ位でやめときます。
それと、家に保存してある看板はやはり、リストに載っていませんでした。

再デビューはさせてやったほうがいいかも知れませんね(笑)

長文すみませんでした。
Posted by でな桜 at 2009年08月25日 22:14
でな桜さん、とても貴重なコメントありがとうございます。
消滅した看板たちの痕跡を記録に残しておくことって、とても重要なことかも知れないですよ。
今回のでな桜さんのコメントを読んで、益々そう思えてきました。
消滅した看板たちだけの記録です。
それなら、仮に記事にしても取られる事もないでしょうし。(ちょっとネガティブ思考かな…)

過去に遡れば遡るほど、その時代のリアルな枚数を算出するのが難しくなりますが、
正確な消滅看板の情報を把握していれば、現存の看板数を足し込むことで、ある昔の時点の看板数を算出できる訳です。
数だけでなく、その存在していた場所とその看板の面構えも合わせて、消滅看板地図を作ったりして。

>先日、ネットを検索していると…
以心伝心でしょうか。
私も先程、検索していて、ある看板がネットオークションに出品され、落札されていたことを。
キャッシュで過去の履歴をチェックできたのですが、7月の末頃に出て8月頭に終了していました。
その看板とは、なんと先日の押小路木製だったのです。
しばらく頭が真っ白になりましたが、
とりあえず、廃棄されたのではないことだけは幸いと思い直しました。
出品者は古物業者のようでした。ふぅ…
Posted by ずんずんずんずん at 2009年08月26日 02:27
行きたい行きたいと思っていた「東九條御靈町」に対面してきました。よくぞ残っていてくれた。感無量です。

ところでライオンズクラブの町名表示板ありますよね。「衣棚通下立売上る」の看板なんですが、「下立売通衣棚西入」についているんです。これがついた2007年から気になって気になってしょうがないんです。仁丹町名表示板では、柱の向きでも東入・上ルとちゃんと表示されているのに、なにやってんねんといいたいところです。ずんずんさんこの気持ちわかってくれますよね。
Posted by ゆりかもめ at 2009年09月21日 21:02
ゆりかもめさん、ご無沙汰してます。
いつのまにか、秋の訪れを感じる季節になってきました。
その後、お変わりないですか。

「衣棚通下立売上る」のライオンズクラブ町名表示板、要チェックですね。
以前に、この近辺でこの例に近い出来事を体験したことがあります。
といいますのは、もう10年以上前のことですが、
とあるビルの1階にオープンした中古パソコンショップを、仕事で訪ねることになったのです。
電話で住所を確認したら、「椹木町通衣棚東入」とのこと。
すぐに見つかると気軽に出かけてみたものの、探せど探せどまったく見当たらないのです。
再度電話を掛けてみたところ、どうも場所が違うようなのです。
結局見つかったのは、「丸太町通衣棚北東角」でした。
聞いてみると、不動産屋に教えてもらった、この店の住所が、「椹木町通衣棚東入」とのこと。
おそらく、登記上はその住所になっているのでしょう。
でも実際上は、まったく違ってるのです。
この辺りの登記上と実際上の住所地が、違っていたりするなんてことがあったりするんでしょうか。

「下立売通衣棚西入」もすぐ近くですよね。
ライオンズ表示板は、登記上の住所地で設置したので、実際上とは誤差が出たとか・・・
Posted by ずんずん at 2009年09月24日 22:03
"登記上と実際上の住所地が違う”ということは基本的にあってはならないのですが、場合によってはそんな現象にぶち当たる事が現実としてあります。

登記は、土地と家屋が別々に独立してありますよね。土地の場合は、地番が区画整理や分筆合筆などで変わることがあれば、それは土地の登記情報の変更を常に伴うので、常に現実に合致していると言えるのですが、問題は家屋の方です。

家屋の登記情報は、底地の地番が変更されたからといって、それでもって「家屋の所在地」が自動的に変更されるものではないからです。家屋の所有者が自主的に行わなければならず、費用もかかるし、結構、代々ほったらかしにされるものなのです。古い町家なんかには往々にしてあるのです。だから、家の登記をあげたら、他人の土地の上に建っている!あり得ない地番の上に建っている!なんて驚くわけです。こういうケースは、一応、登記と実際が完全に違う現象ですね。

それから、町名と地番は合致しているので同じポイントを示しているわけですが、通り名のセッティングが住民登録や戸籍と違っているというのも結構あるものです。いずれも申請どおりに受理されて処理されたとうい結果でしょうね。
商売人さんは、”下る”を嫌って、あえて少し遠くても”上る”を常用していて、住民登録と昔からの登記内容とが不一致になってしまったということもあると聞きます。

今回のケースは、「椹木町通衣棚東入」も「丸太町通衣棚北東角」も同じ大門町を指し示しているようですから、町名と番地が現実と一致していれば完全に間違いとは言えないまでも、通り名に従ったら間違うようではルール違反ですよね。

不動産屋さんも、もしかしたら賃貸物件の斡旋だったらと登記を調べる必要もなく、大門町ならこの通り名などと適当に調べて答えたのかもしれませんね。でも、それをそのまま鵜呑みして使用するお店も京都で商売するお店とは思えませんが。

ライオンズの件は、単にこだわりがないだけではないのでしょうか。
Posted by shimo-chan at 2009年09月26日 16:37
わぁ、なかなか深いですね。
その当事者しか知らないような例が、沢山あるんでしょうね。
町名は、一筋西の”今薬屋町”だったと思います。
Posted by ずんずんずんずん at 2009年10月03日 13:06
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