CATEGORY:祇園祭2010
2010年07月23日
祇園祭2010・豊園御真榊建て
山鉾巡行の終わった17日の夜、八坂神社から三基の神輿が発御する。
その神輿の内、素盞鳴尊がお乗りになっている中御座を先導する大榊がある。
それが、この豊園御真榊である。
元々は、高辻通高倉の泉正寺町がその役を務め、東御座を先導する御真榊台として守られてきた。
しかし、中御座・西御座を先導していた御真榊台は既に絶え、今ではその奉仕の町内の所在すらわからない。
ここ泉正寺町の御真榊台も、一ヶ町ではとても維持継続が難しくなり、
現在では、豊園御真榊奉賛会が結成され、豊園学区全体で毎年のご奉仕に励んでおられる。
そして、一基になったこの御真榊台は、現在では東御座から中御座に供奉するようになっている。
今年から、揃いのTシャツを作って、猛暑の中で準備を進められている。
背中の”榊”の一文字が、なかなか粋である。
御真榊建てから清祓いまで、洛央小学校(旧豊園小学校)の敷地内にある自治会館で執り行われている。
洛央小では、児童達が作った洛央鉾というミニ鉾もあり、地元の祇園祭の活動として花を添えている。
地元と小学校が、非常にうまく連携しあっている。
この御真榊の台枠は、平成16年に新調されているが、
舁き棒は古く、一方には「明治貮年六月吉祥日」、もう一方には「神事講」の銘が見える。
道具箱の蓋裏に、「大正十二年七月新調 泉正寺町」と書かれている。
さらに左端に小さな文字があるが判読できない。
真榊に付いている紙垂だが、非常に珍しい形状をしている。
奉賛会の方たちの手により、この紙垂も作り準備されている。
この紙垂の珍しい形の由来を知ることが出来れば、
御真榊の由来も知ることが出来るかもしれない。
八坂神社から神職がお見えになり、この御真榊と洛央鉾を清祓いされました。
あとは、神幸祭に中御座の先導を待つだけとなりました。
その神輿の内、素盞鳴尊がお乗りになっている中御座を先導する大榊がある。
それが、この豊園御真榊である。
元々は、高辻通高倉の泉正寺町がその役を務め、東御座を先導する御真榊台として守られてきた。
しかし、中御座・西御座を先導していた御真榊台は既に絶え、今ではその奉仕の町内の所在すらわからない。
ここ泉正寺町の御真榊台も、一ヶ町ではとても維持継続が難しくなり、
現在では、豊園御真榊奉賛会が結成され、豊園学区全体で毎年のご奉仕に励んでおられる。
そして、一基になったこの御真榊台は、現在では東御座から中御座に供奉するようになっている。
今年から、揃いのTシャツを作って、猛暑の中で準備を進められている。
背中の”榊”の一文字が、なかなか粋である。
御真榊建てから清祓いまで、洛央小学校(旧豊園小学校)の敷地内にある自治会館で執り行われている。
洛央小では、児童達が作った洛央鉾というミニ鉾もあり、地元の祇園祭の活動として花を添えている。
地元と小学校が、非常にうまく連携しあっている。
この御真榊の台枠は、平成16年に新調されているが、
舁き棒は古く、一方には「明治貮年六月吉祥日」、もう一方には「神事講」の銘が見える。
道具箱の蓋裏に、「大正十二年七月新調 泉正寺町」と書かれている。
さらに左端に小さな文字があるが判読できない。
真榊に付いている紙垂だが、非常に珍しい形状をしている。
奉賛会の方たちの手により、この紙垂も作り準備されている。
この紙垂の珍しい形の由来を知ることが出来れば、
御真榊の由来も知ることが出来るかもしれない。
八坂神社から神職がお見えになり、この御真榊と洛央鉾を清祓いされました。
あとは、神幸祭に中御座の先導を待つだけとなりました。
祇園祭2010・神幸祭 神輿渡御
祇園祭2010・神幸祭 久世駒形稚児
祇園祭2010・弓矢町武具飾り
祇園祭2010・宵々山
祇園祭2010・御手洗井 井戸開き
祇園祭2010・四条麩屋町 斎竹建て
祇園祭2010・神幸祭 久世駒形稚児
祇園祭2010・弓矢町武具飾り
祇園祭2010・宵々山
祇園祭2010・御手洗井 井戸開き
祇園祭2010・四条麩屋町 斎竹建て
広島へ帰って一週間。
ようやくパソコンへ向かう元気が出てきました‥。
Tシャツを作られたのですね。
私も早く護摩焚供養のやりとりの書き取りを終えて、
こちらを見に行きたいものです。
お疲れ様でした。
全力投球の10日間でしたね。
揃いのTシャツで気合が入っていました。
支部長も知っている、私と同姓の方にあらためてお話を伺うことになりました。
詳細がわかればまたお知らせいたします。