CATEGORY:山王祭・日吉大社
2009年03月15日
日吉大社「山王祭2008」 4月13日~宵宮落し神事・前編~
もうじき「山王祭」ということで、心ウキウキの春を迎えようとしておりますが、
そこで、ふっと思い出したのです。
そうそう、昨年!2008の山王祭の記事を上げ忘れていたのです。
花渡り式が終わってすぐの、大政所(宵宮場)の様子です。
今年の山王祭を見に行くなら、参考になるでしょうか。
左から、【三ノ宮】 【八王子(牛尾宮)】 【東本宮(二宮)】 【樹下宮】 の四基の神輿です。
・東本宮(二宮)は、<大山咋神>の和御魂(にぎみたま)。
・八王子(牛尾宮)は、<大山咋神>の荒御魂(あらみたま)。
・樹下宮は、<鴨玉依姫神>の和御魂(にぎみたま)。
・三ノ宮は、<鴨玉依姫神>の荒御魂(あらみたま)。
神さんには、穏やかな性格をもつ和御魂と、積極的な性格をもつ荒御魂の二つの面があって、
その二面が一体になることで、本来の神の姿になるというのです。
◆余談ですが、京都祇園祭の神幸祭・還幸祭の時、
中御座神輿(素盞鳴尊)に上久世・綾戸国中神社の駒形稚児が随伴します。
木彫りの馬の首を、胸に着けたお稚児さんで、
その木彫りの馬の首が御神体そのもので、
それを胸に着けたお稚児さんは神使ではなく、
駒形稚児が素盞鳴尊の荒御魂そのものということになります。
中御座神輿(祇園社ご本殿の素盞鳴尊・和御魂)とともに巡幸することで、
荒御魂と和御魂が一体となり、神さんも本来の神霊力を発揮して、
民衆は疫病退散のご利益をいただけるのでしょう。
◆久世駒形稚児については、
”京都ずんずん”の別冊Blog 『祇園祭2006・ずんずん観て歩き』で詳しくアップしています。
祇園祭2006 還幸祭・久世駒形稚児 7月24日
祇園祭2006 久世稚児社参 7月13日
12日夜にあった”午の神事”で、東本宮の背後にそびえる”八王子山”山頂・金大巌の奥宮から、
大山咋神・鴨玉依姫神の”荒御魂”を乗せた二基の神輿が、
勇壮な駕輿丁達に舁れて降りてくるのです。
そうして、東本宮の拝殿で待つ大山咋神・鴨玉依姫神の”和御魂”の二基の神輿と一緒になり、
「尻繋ぎの神事」が行われるのです。
まさに、夫婦神の結婚を表すとされ、下世話な言い方をすれば神さんのHですね。
実際、神輿の担ぎ棒を重ねて神事が執り行われ、
神職も神輿に正対せず横を向いて神事を進めると聞きます。
尻繋ぎの神事を終えた翌日の13日、四基の神輿は大政所(宵宮場)に奉安されます。
そして、その日の夜の「宵宮落し神事」を迎えます。
この画像は、その宵宮落しを数時間後に控える、宵宮場の様子です。
わかり易く言うと、「宵宮落し神事」とは、若宮誕生の神事なのです。
つまり”賀茂別雷神”が生まれ落ちるのです。
賀茂別雷神といえば、京都・上賀茂神社の御祭神ですよね。
正式な神社名は、賀茂別雷神社ですから、
昔より賀茂社との関係の深いことを物語っています。
この画像で奇妙に思う人はいるかもしれませんね。
お祭りなのに、黒白の幕?!
それは、鯨幕(くじらまく)が張られていることです。
この黒白の幕、現在は葬式などの弔事に使われるようになっていますが、
本来、弔事・慶事に関係なく使用されるもので、
特に、黒色というのは高貴な色とされていて、古くから神事には黒白の鯨幕を張るそうです。
因みに、現在の様になったのは、
大正時代以降に葬儀屋さんが使い出して一般化していったようです。
そこで、ふっと思い出したのです。
そうそう、昨年!2008の山王祭の記事を上げ忘れていたのです。
花渡り式が終わってすぐの、大政所(宵宮場)の様子です。
今年の山王祭を見に行くなら、参考になるでしょうか。
左から、【三ノ宮】 【八王子(牛尾宮)】 【東本宮(二宮)】 【樹下宮】 の四基の神輿です。
・東本宮(二宮)は、<大山咋神>の和御魂(にぎみたま)。
・八王子(牛尾宮)は、<大山咋神>の荒御魂(あらみたま)。
・樹下宮は、<鴨玉依姫神>の和御魂(にぎみたま)。
・三ノ宮は、<鴨玉依姫神>の荒御魂(あらみたま)。
神さんには、穏やかな性格をもつ和御魂と、積極的な性格をもつ荒御魂の二つの面があって、
その二面が一体になることで、本来の神の姿になるというのです。
◆余談ですが、京都祇園祭の神幸祭・還幸祭の時、
中御座神輿(素盞鳴尊)に上久世・綾戸国中神社の駒形稚児が随伴します。
木彫りの馬の首を、胸に着けたお稚児さんで、
その木彫りの馬の首が御神体そのもので、
それを胸に着けたお稚児さんは神使ではなく、
駒形稚児が素盞鳴尊の荒御魂そのものということになります。
中御座神輿(祇園社ご本殿の素盞鳴尊・和御魂)とともに巡幸することで、
荒御魂と和御魂が一体となり、神さんも本来の神霊力を発揮して、
民衆は疫病退散のご利益をいただけるのでしょう。
◆久世駒形稚児については、
”京都ずんずん”の別冊Blog 『祇園祭2006・ずんずん観て歩き』で詳しくアップしています。
祇園祭2006 還幸祭・久世駒形稚児 7月24日
祇園祭2006 久世稚児社参 7月13日
12日夜にあった”午の神事”で、東本宮の背後にそびえる”八王子山”山頂・金大巌の奥宮から、
大山咋神・鴨玉依姫神の”荒御魂”を乗せた二基の神輿が、
勇壮な駕輿丁達に舁れて降りてくるのです。
そうして、東本宮の拝殿で待つ大山咋神・鴨玉依姫神の”和御魂”の二基の神輿と一緒になり、
「尻繋ぎの神事」が行われるのです。
まさに、夫婦神の結婚を表すとされ、下世話な言い方をすれば神さんのHですね。
実際、神輿の担ぎ棒を重ねて神事が執り行われ、
神職も神輿に正対せず横を向いて神事を進めると聞きます。
尻繋ぎの神事を終えた翌日の13日、四基の神輿は大政所(宵宮場)に奉安されます。
そして、その日の夜の「宵宮落し神事」を迎えます。
この画像は、その宵宮落しを数時間後に控える、宵宮場の様子です。
わかり易く言うと、「宵宮落し神事」とは、若宮誕生の神事なのです。
つまり”賀茂別雷神”が生まれ落ちるのです。
賀茂別雷神といえば、京都・上賀茂神社の御祭神ですよね。
正式な神社名は、賀茂別雷神社ですから、
昔より賀茂社との関係の深いことを物語っています。
この画像で奇妙に思う人はいるかもしれませんね。
お祭りなのに、黒白の幕?!
それは、鯨幕(くじらまく)が張られていることです。
この黒白の幕、現在は葬式などの弔事に使われるようになっていますが、
本来、弔事・慶事に関係なく使用されるもので、
特に、黒色というのは高貴な色とされていて、古くから神事には黒白の鯨幕を張るそうです。
因みに、現在の様になったのは、
大正時代以降に葬儀屋さんが使い出して一般化していったようです。
日吉大社・山王祭2012/松明造り・鈴縄巻き・神輿上げ
『日吉山王祭』 山口幸次氏が2011年・写真展開催!
日吉大社・山王祭2011 大松明(鼻松明)造り
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