CATEGORY:山王祭・日吉大社
2011年03月11日
日吉大社・山王祭2011 神輿上げ(お輿上げ)・3月6日
4月12・13・14・15日に最高潮を迎える湖国三大祭の一つ「日吉大社・山王祭(さんのうさい)」。
それに先立つこと40余日。
3月第一日曜、先週末の6日、"神輿上げ(おこしあげ)神事"が行われ、一ヵ月半に及ぶ山王祭がいよいよ始まった。
これは、奥宮を目前にして、最後の石段を舁き上げられる牛尾宮。
”神輿上げ(お輿上げ)”は、標高381mの八王子山山頂の直下に建つ”奥宮(おくみや)”へ、
神輿2基を奉安する神事である。
一基が八角の神輿「牛尾宮」、もう一基が「三宮宮」の神輿。
4月12日夜の”午ノ神事(うまのじんじ)”で、新たなる御神霊をみなぎらせた神輿は、再び山を下る。
それまで、神輿は山上の宮にて、時期が熟すのを静かに待つ。
八王子山山麓の仮屋前に、定刻の9時半よりも一時間ばかり早く着いてしまった。
しかし、すでに集まる人影が見える。
こちらが、牛尾宮の神輿。山王上七社の内、この一基だけが八角形をしている。
たびたびコメントをいただく八角さんは、今年の宵宮落しで、牛尾宮の”飛び”される。
対面に、こちらが三宮宮。
横に集まっているユニフォーム姿の集団は、北大津高校・野球部のメンバーである。
この神輿上げに奉仕するようになってから、実力を発揮して、甲子園への出場が決まりだした。
これも、日吉さんのご利益なのだ。
登り口には、注連縄によって結界が張られていた。
駕與丁のメンバーも次第に集まってきた。
そうしていると、東本宮の方から、新たな集団がやってきた。
やはり野球のユニフォーム姿である。
こちらは、比叡山高校野球部の面々であった。
比叡山野球部も、日吉さんのご加護の元に、甲子園出場を目指すのだ。
この強力な助っ人が加わって、二基の神輿は奥宮を目指して登ることになる。
カメラを向けられてインタビュー中。
定刻の9時半になった。
いよいよ始まる。
馬渕宮司、神職、今年の山王祭実行委員長、総奉行、役員の方々、駕與丁が勢ぞろいした。
馬渕宮司より、平成23年山王祭実行委員長へ委嘱状が渡された。
他、役員一人一人に委嘱状が渡されて後、馬渕宮司から挨拶があり、
いよいよ、今年の山王祭が始まる。
一斉に駕與丁たちが神輿に取り付いた。
神輿に白棒(いわゆる長柄)を付ける。
さらに、引っ張り上げるための縄を、神輿に取り付ける。
手馴れた手付きで、縄がさばかれてゆく。
ここ山王祭の神輿の白棒には、縄が巻かれる。
急峻な山道を舁き上がる山王祭の神輿は、独特の縄縛りが施される。
この縄の縛りを、”かえ縄”と呼ぶ。
駕與丁によって縛り方が異なり、神輿の胴から始めるものもあれば、逆に舁き棒の先から始めるものもある。
どちらにしても、かえ縄がないと、急な坂では、神輿を肩に引き付けることができないのだ。
両社の神輿とも、準備が整ったようだ。
実行委員長の拍子木の合図で、一気に牛尾宮の神輿が動き出した。
この拍子木は、お山の神様に、これから結界を割って山に入ることを告げる挨拶となる。
今年は、牛尾宮のみでしか行われなかったが、本来は三宮宮の神輿が動く前にも、拍子木は打ち鳴らされる。
実行委員長と総奉行(昨年の実行委員長)が並んで、扇で神輿を招く。
急な山坂を、牛尾宮の神輿が登りはじめた。
さあここから一時間ばかり、何度か休憩を入れながら山上の奥宮を目指す。
拝殿に奉安するまでは、もう途中に平坦な場所はない。
さあ、次は三宮宮の神輿である。
手際よく伸ばされた縄に、比叡山高校野球部員のみんなが付いた。
この急坂である。
京都の神輿の様に、長い長柄を付けていると、逆に邪魔で舁くことができない。
黒棒のみで舁くことが多い山王祭では、白棒にはあまり装飾は施されていない。
美しく輝く神輿と、実用本位の舁き棒のコントラストが、山王神輿の真髄を見ることができる。
叡山を越えて入洛していた強訴全盛の時代を彷彿とさせる。
急坂であるが故に、幾重にも九十九折れの山道が続く。
このシーンを見てもわかるように、京都の神輿に付く長い長柄は、
平坦な土地である都の神輿であるが故に、発達した形であることがわかる。
都大路で威力を発揮する13~15mの長柄は、坂本では無用の長物となる。
ここで、一旦小休止。恒例のみかんを頬張って、英気を養う。
さあ、大岩のところまで登ってきた。
牛尾宮の後ろに、三宮の神輿ががっちり付いて来ている。
ここで二度目の休憩。あと一折れすると奥宮が見えてくる。
先行して、奥宮まで登ってきた。
先方に見える懸崖造りが社殿で、左側が三宮宮、右側が牛尾宮となる。
奥宮のすぐ下まで登ってきた。
北大津高校の強力な牽引部隊は、さすがに、まったくの疲れを見せていない。
ここで、二社の神輿は白棒を取り外す。
最後の参道が、急な石段になっているのに加えて、狭くて約100度位の曲がりになっている。
12日夜の午ノ神事では、桟敷といって、参道を広げるように足場が組まれる。
しかし、この神輿上げでは、まだ桟敷組みが行われていない。
白棒を付けたままでは、狭い参道から駕與丁は食み出てしまう。
黒棒のみにした神輿を、駕與丁の肩と、縄で引き上げる野球部、
そして後から竹棒で押し上げる力が一丸となって、無事に宮に奉安することができるのだ。
いよいよ、最後の正念場である。
分解写真を見るように、眺めて欲しい。
無事に牛尾宮の神輿が奉安された。
正面には、金大巌がそびえている。
牛尾宮の八角神輿に続いて、三宮宮の神輿が舁き上げられる。
続いては、動画でその臨場感を味わってほしい。
無事に、三宮宮の神輿も奉安することができた。
駕與丁たちの顔に、安堵の色が見える。
薄暗い拝殿の中で、神輿の輝きが際立つ。
振り返ると、向い側の牛尾宮拝殿の窓から、牛尾宮の神輿が見える。
拝殿内では、実行委員長がケーブルテレビのインタビューを受けておられた。
無事に奉安したことを神様にお知らせする、神事が執り行われていた。
拝殿の中央に神輿を安置していないのは、
3月15日に牛神楽祭が執り行われるからで、その時に神楽が舞われる。
その場所を作るための用意なのだ。
これは、幸運にも見せていただくことができた、牛尾宮の下殿の跡である。
下殿とは、明治以前の神仏習合時代に、本地である仏像が祀られていた部屋である。
垂迹である神様が祀られている内陣の真下に位置している。
奥の小部屋の右に曲がった奥に仏様がおられたという。
三宮宮でも、神事が執り行われていた。
先ほどまでの賑わいはどこへやら。
皆は、下山して、仮屋前での接待に舌鼓を打っているはずである。
おにぎりが1000個に、粕汁・漬物などなど、用意されたようだ。
さあ、私たちも急ごう。おにぎりが無くならないうちに下山しなければ。
神輿上げは、人力オンリーで山に神輿を舁いて上げて、そしてまた山から下りて来る。
太平洋戦争後、山上の奥宮までの神輿上げは、しばらく中断していたらしい。
しかし、昭和48年に新しい神輿を造営したのを機に、古式の姿が復活して現在まで続けられている。
『日吉山王祭』の著者・山口氏に伺ったところ、中断していた当時は、
八王子山奥宮への参道の途中、申の馬場(さるのばんば)という場所に、二基の神輿が奉安され、
そこから山を下って”午ノ神事”を行っていたという。
山口氏が曰く、山の中に、ぽつんと二基の神輿が寂しそうだった、そうだ。
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