祇園祭2010・神幸祭 久世駒形稚児

ずんずん

2010年07月23日 22:00

17日の夕方から深夜にかけて、神幸祭が執り行われ、
八坂神社を三基の神輿が市中の氏子区域を巡幸した後、四条寺町の四条御旅所に着御した。

その内の素盞鳴尊をお乗せする中御座を先導して、先に記事UPした”豊園御真榊”とともに、
清々講社の御奉仕による神宝奉持列が続き、上久世・国中神社の久世駒形稚児が行列に同道した。
神幸祭で駒形稚児を務めたのが、小学校2年生の山路叶育(かい)君である。
夜にはいっても蒸し暑さの残る京都の街であったが、最後まで凛々しい中にも可愛いさが見える稚児姿であった。
しかし、無我というべきこの表情を覚えておいて欲しい。
務め終えるその時まで、暑いやしんどいといった表情を見せず、この表情のままなのだ。
やはり、神さんたる由縁がそこにある。



出発を待つ、宮本組の方々と神幸列。






駒形稚児の白馬につく方の法被に、”駒形”の紋が入っていた。


駒形稚児の場合は強力さんと呼ぶのだろうか、
稚児を抱きかかえて地面に足を着けないようにしている。


見事に白馬にまたがった。
おとなしい性格の馬を選んであるようで、不心得者がフラッシュを光らせてもじっとしてくれていた。






稚児のそばには、裃姿のお父様が付き添っておられた。




いよいよ、出発の刻限がきた。
後には、素盞鳴尊がお乗りになる中御座が見えている。





先頭が四条縄手まで来たところで待機となった。
祇園石段下で、三基の神輿の発輿式が行われるのを待っているのだ。





発輿式が終わったのを見計らって、神幸列が動き出した。
四条縄手から列は北に進んでいく。
鴨川は三条大橋で渡る巡幸路を取る。

余談だが、豊臣秀吉が御土居を築造して、洛中と祇園社とを結ぶ参拝路である四条大路を遮断するまでは、
当然のごとく、祇園社の神輿は四条の橋を渡っていた。
ただ、四条橋は渡らず、橋の上流側に臨時の仮橋を架け、そこを神輿は渡っていた。
多くの洛中洛外図をみると、その様子を伺うことが出来る。
四条橋は牛や馬も渡る橋であったため、不浄を避けて仮橋を架け、神輿はその橋を渡ったという。
また、その仮橋を架ける費用の一部を、万寿寺通烏丸の東西にある「御供石町」と「大堀町」が負担していたとも聞く。
この2ヶ町は、祇園社の氏子区域外ではあるけれども、
天正十八年(1590)頃から慶長元年(1596)までの間に悪王子社が鎮座していた、
現在の悪王子町(烏丸通五条上ル)のお隣の2ヶ町である。
やはり、祇園社とゆかりの地であることに間違いないのである。
この御供石町については、また別項にてご紹介したい。

豊園御真榊奉賛会役員の方々に続き、御真榊が見えてきた。





勅裁御板についで、幸鉾が続く。



御矛、御盾、御弓などが続いて、久世駒形稚児がやってきた。




今度は三条大橋西詰に先回りして、先導役と太鼓を捉えてみた。
後には、騎馬の鎧武者が三騎続く。
実は、この騎馬鎧武者が、昭和49年までは六原弓矢町のご奉仕で、鎧武者行列が出ていたのだ。
先日アップした記事、「祇園祭2010・弓矢町武具飾り」がそれである。
鎧武者が18人ほど、騎馬の大将が最後尾に控えて、武者の供の者や町役員を含めて総勢80名ほどであったという。
なかなか壮観であったと思われる。











二条通木屋町まで来たところで小休止となった。
神幸列は、ここで一旦止まって、駒形稚児も休憩を取る。



昔より、貝葉書院が稚児の休憩処として、その役を務めている。
貝葉書院のある樋之口町は、八坂神社の氏子区域の最北端で、
隣接地の清水町や鉾田町は下御霊神社の氏子である。


貝葉書院の店の中には、神輿弁当が山積みに置かれていた。
神輿の駕與丁たちも、ここで一服して鋭気を養うのだろう。
神輿弁当は、三条台若中の男の手だけで作られる弁当で、
竹の皮に包まれた米飯に黒胡麻が散らしてあって、梅干と沢庵が入っている。
以前、頂いて食べることが出来たが、一度に大量に炊かれる飯の味は最高であった。



休憩を終えた稚児が、再び抱きかかえられて姿を現した。




お父さんが、稚児に向かって何か話しかけているのか、お父さんの顔に笑顔が見える。
しかし、小学2年生が弱音も吐かずによく務めている。
やはり、今は神さんになっているからなのか、何事にも無我の表情であって非常に神秘性を感じる。

先行していた駒形稚児に、中御座が追いついてきた。
しかし、神輿はここで休憩をとり、駒形稚児は出発して二条から寺町を下がり、
三条から河原町を経て、四条御旅所まで一気に進んでいく。



四条の御旅所を過ぎて、寺町京極を北進して錦天満宮の正面から入ってきた。
ここはもう、規定の巡幸を終えている。
去年までは、四条新京極から入ってきていたのだが、
錦天満宮の一の鳥居を潜るためか、今年は寺町錦小路からやってきたので、
私も含め、錦天満宮の方や駒形稚児についているカメラマンも不意を衝かれてしまった。


騎馬のまま境内に入り、抱きかかえられて社前の椅子に腰を下ろす。






到着後すぐに修祓が執り行われる。
久世駒形稚児は、神さんから普通の子供に戻るのである。




最後に、稚児を務めた山路叶育君から、「ありがとうございました」と元気なあいさつがあった。
ほんのり笑顔の表情は、その時に初めて子供の顔に戻ったようであった。



これで、神幸祭での久世駒形稚児は役目を終えた。
四条御旅所では、神輿の到着を待つ人でごった返している。


四条御旅所は、これからが本番である。
ほいっと!ほいっと!
深夜まで、威勢のいい掛け声が響き渡るのだ。



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