先週の土曜17日、夕方から八坂神社の三基の神輿が、市中の氏子区域を巡幸した。
今年は週末に重なったこともあり、例年に無く三つの神輿會の駕輿丁の人数が多く、
四条御旅所前は溢れんばかりの人で埋め尽くされていた。
最初は、六角形をした中御座が入ってきた。
素戔嗚尊がお乗りになっている神輿である。
御旅所には、神輿庫を挟んで東西に御殿がある。
中御座は西御殿で着輿祭を執り行った後、中央に奉安されて飾られる。
二番目の東御座は撮り漏らしてしまったが、中御座の六角形に対して四角形をしている。
櫛稲田姫命がお乗りになり、やはり西御殿に着いた後に奉安される。
そしてこの西御座が八柱御子神様がお乗りになる神輿で八角形をしている。
この神輿のみ、東御殿に着いた後に奉安され、綺麗に飾られるのである。
北側の宝くじ売り場のところに、仮設の台が設けられ、
神輿が御旅所前に入ってくると、楽人が雅楽を演奏する。
また、御殿前から神輿庫前に動く時も、同じく演奏されていた。
三基の神輿は収まったが、中央が中御座・素戔嗚尊、
向かって右が東御座・櫛稲田姫命、左が西御座・八柱御子神である。
何故、東御座が西側で、西御座が東側に奉安されているのかというと、
本来、八坂神社の御本殿は南面して建っていて、御祭神はこの並びでお祀りされている。
しかし、御旅所は北面で建っているので、同じ並びに神輿を置くと、東西が逆になってしまうのだ。
この四条御旅所も、明治45年に京都市電が通ったために、道路が拡幅された。
豊臣秀吉が、この地に御旅所をまとめた頃の姿は別として、
明治時代の御旅所は、南北両側に御旅所の施設が建ち並び、
四条通というよりも、御旅所前広場といった方がいい感じの風景であった。
下の写真が市電開通工事直前の御旅所を紹介するものとして有名だが、
中央のコート姿の男性は、京都市の技師たちであったかと思う。
写真は東を向いて撮影されていて、奥に見える山が東山で、
その山並みのすぐ左手にこちら向きに建つ社殿が大政所で、現在の西御殿に当たる。
西に向いて建っていたことが分かる。
現在の東御殿である少将井は、この写真ではほとんど見えないが、道路の南側、
枝を伸ばしている大きな木の幹のあたりに見える屋根がそれである。
この写真からわかるように、御旅所前は若干広くなって広場になっているが、
その向こうは、元々の四条通の幅が見えている。
いかに道幅が狭く、連なる町並みの屋根も低かったかがわかる。
この町を、あの高さの山鉾が巡行していたということは、
どんな風に当時の人の目に映り、心を動かしたかが、想像できるというのものだ。