森下仁丹の町名表示板で、レアな通の看板を見つけました。
現在、ここは中京区で、その理由は前に上げた記事のとおりです。
「御霊図子通」と「新烏丸通」の四つ角です。
御霊図子通と書いて、「ごりょうのずしどおり」と読みます。
「図子」は「辻子」とも書き、細い小さな通を表し、膏薬図子や了頓図子など、
京都市内の上中下の三区には、まだまだ沢山の図子が残っています。
この
御霊図子通は、丸太町通と竹屋町通の間。
寺町通から土手町通までの僅か250mほどの短い通りで、下御霊神社の南側を抜けています。
御霊さんのそばを抜ける細道なので、御霊図子なんですね。
新烏丸通は、新と付くから新しい通りと思いきや、造られたのは江戸時代。
宝永5(1708)年に、市街のほとんどを焼失する大火が起きた。
そのあと、御所の周りの街路も合わせて整備を行ったが、
その時、立ち退きをさせた人たちの為に市街地を新しく造ったのです。
御所に面した烏丸通沿いから移った人たちが住んだ通りで、「新烏丸通」というわけです。
新烏丸通の一筋東の通りは
「新椹木町通」。
これも、丸太町の一本北の通・椹木町通からの移動組みです。
さらに、
川東(二条・三条・川端・東山に囲まれたエリア)には、
新の付く通りが9本。
丸太町・麩屋町・富小路・柳馬場・堺町・高倉・間之町・東洞院・車屋町とまあ、
確かに御所の周りの通り名が、ズラズラとありますね。
おまけですが、
西寺町通というのもありますね。
東なのに、西とはこれ如何に??
御霊図子通から西を見る。
右手の漆喰壁が下御霊神社の裏で、手前を横切るのが新烏丸通。
前方のドンツキが寺町通になります。