祗園祭に因んだ仁丹町名表示板 その1
今、京都の町は、祇園祭で盛り上がっております。
7月17日の山鉾巡行を控えて、
日増しに"コンコンチキチン"ムードのボルテージがUPしている感じです。
そこで、仁丹看板も
祇園祭をテーマにセレクトしてみました。
こんなのもあるか!ということで、暫しお楽しみ下さい。
まず一枚目は、
『天神山町』です。
山鉾32基には、天神さんを祀っている山が2基あります。
1基は、油小路通綾小路下ル 風早町の"油天神山"。
そしてもう1基が、ここ錦小路通新町東入 天神山町の
"霰天神山(あられてんじんやま)"です。
看板の設置が、中京区が分区した昭和4年4月1日以前のため、
"下"京区表記の上から、"中"京区の貼り付けがちょっと残念。
でも文字の書体は、苦心の跡がみられますね。
二枚目は、
『山伏山町』です。
この町も、昔からの町家は
"山伏山(やまぶしやま)"の町会所を除いて、ほぼ壊滅状態。
辛うじて残っている仁丹看板です。
こちらの行政区表記は、下京区のまんまですね。
三枚目は、
『木賊山町』です。これで、
「とくさやまちょう」と読みます。
今年の
"木賊山"は16番目を巡行します。
ルビを振っていなければ、なかなか読めない難読町名の一つでしょう。
「東中筋通」というのも、通り名ファンには当たり前でも、
一般的には結構マニアックですよね。
さて、四枚目は
『傘鉾町』です。
傘鉾の形態をとっているのは、
綾小路通新町東入 善長寺町の
"綾傘鉾"と、ここ傘鉾町の
"四条傘鉾"です。
祇園祭が、現在のような山車(だし)中心のお祭巡行になる前、
まだ、風流中心の祭礼だった頃の姿を残しているものです。
実は、この看板の存在を知ったきっかけですが、
やはり仁丹看板をはじめ、街の姿を追いかけておられる
idecchi_2006さんが、
ご自分のBlog
『京都で暇つぶし』で紹介されたのが最初でした。
鴨川から大宮通間の四条通は、
仁丹看板にとっては生き残れる確率0%といってもイイくらいの過酷なエリアで、
屋内に張り替えられて、綺麗に保存されているこの看板の姿を見た時は、
信じられない感がありました。
設置されているお店にお邪魔して、店内で撮影させていただいたものです。
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