埋蔵仁丹町名表示板「松原通油小路東入 天神前町」

ずんずん

2010年11月06日 23:17

埋蔵仁丹町名表示板 「松原通油小路東入 天神前町」との出会い!

いつものパターンになってしまったが、通りかかった沿道の店の奥、

ほんの視野の端に仁丹看板らしき残像が映った。

気のせいかと思うほどにぼんやりしていたが、今のやっぱり仁丹看板だったよなぁ。

行き過ぎてから20メートルばかり戻って、とあるお店の奥をそぉーろと覗き込んだ。

半身を店の柱で隠れるようにして、青い縁取り、いつもの姿を確認した。

さっそくお店の方に撮影の許可を得たら、撮り易いように表にぶら下げてあげようと言っていただき、

この様な画像となった。

看板が屋内に収まることになった経緯を伺った。

お話によると、10年ほど前に店の表を直した時に、屋内に保存することになったそうで、

それまではここの2階軒下に設置されていたという。

しかし、水谷憲司氏の「京都・もう一つの町名史」の一覧では、この看板は載っていない。

ということは、15年以上前に取り外されたことになると思われる。



【埋蔵仁丹】とは・・・

 言わずと知れた”琺瑯製仁丹町名表示板”のことで、
その中でも、様々な理由によって、町家軒下や街頭壁面から取り外されて、
今は人目に触れることもなく、屋内にひっそりと保存されている、
お蔵入りした仁丹看板たちのことを云う。

 最近のメンバーによる調査活動によると、あくまでも実数は把握できないながらも、
少なくとも数十枚単位での埋蔵仁丹が存在しているのではないかと想像させる程に、
頻繁に埋蔵情報が飛び込んでくる。
さらに予想を上回る、数百枚単位での埋蔵仁丹が眠っていたりするかも・・・
恐るべし、埋蔵仁丹群!

 それほどに、仁丹看板は京都市民に愛されている証拠なのだ。
溺愛するあまり、手許近くに置きたくなるのだろうが、これだけは忘れないで欲しい。
仁丹看板は、街頭に設置されてはじめて仁丹町名表示板なのだ。
自動車は走ってなんぼ。蒸気機関車は動態保存がBest。
仁丹看板は、現住所を街頭で掲示してこそ仁丹看板なのである。
仁丹看板は、現在も京都の町に生き続ける、現役の文化財なのだ。





関連記事