立売中之町の應擧地蔵のこと
京都市内には、ガイド書に載ることのない”名もなき祠堂”がたくさんあって、
お町内のご奉仕によって、今も大切に護られています。
その、人知れず何百年と護られ続けてきた祠堂を、
時々ポツリポツリと訪ねながら、その由緒や故事来歴を紹介してゆきたいと思います。
今回は、毎朝通勤の途中に通りかかる地蔵堂です。
場所は、堺町通四条上ルの野村證券ビルの東側面に、埋め込まれるように小堂があります。
以前から気になっていたので、あらためて見てみると、
左の足元に建つ石碑に何やら・・・【應擧地蔵尊】とありました。
ちょっと見にくいですが、
左側に「大正十年八月建之」、右側に「立売中之町 発起人山田政七」と彫られています。
お花とお水が、ちゃんとお供えされていました。
お掃除など、手入れも毎日されているようですね。
こうしてみると、向かって左のお堂の方が、凝った作りになっています。
屋根のきれいな反りに、彫金を施した金具が張られていますし、
破風の部分は、相当細かい彫刻があって、額も手を込んだもののようですね。
石碑の建っている位置からすると、この左側のお堂が"應擧地蔵"にあたるのでしょうか。
この野村證券ビルは、立売中之町と北隣の八百屋町の二ヶ町に跨って建っているので、
應擧地蔵が立売中之町、もう一方の地蔵堂が八百屋町のお地蔵さんなのかもしれません。
左側のお堂の中を覗かせていただきました。
なんと、神社にあるような鏡がありました。
こちらは、四条通堺町東入南側のビルの前にある「圓山應擧宅址」の碑と駒札です。
この”立売中之町”に住まいしていた應擧と、この應擧地蔵尊とのつながりはいかなるものか、
改めて調べてみたいです。
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