CATEGORY:街
2009年05月02日
路面探検~マンホール~
以前に、高校の友達に珍しいマンホールがあるという話を聞いていて、
ふと思い出して探索を行ってみました。
これは、マンホール研究家の林丈二さんによって昭和61年に発見され、
当時「芸術新潮」ででも紹介されたとのことでした。
いとも簡単に、見つけてしまいましたが、これは感動しました!
『下水 大正5年』の文字がはっきりと読めます。
こんなマンホールがあるんですね。

右斜め上に見えるのが、現在の下水マンホール。
結構、位置が道の端にあって、穴の中を見たら、完全に水路は落ち葉や土で埋まっていて、
竪穴のみで、明らかに水路としては使われていないようでした。
マンホールだけが奇跡的に残っているようです。

でも、下水路があったということは、
その下水路沿いにまだ大正マンホールが残っているのでは、と思い、
先に進んでみると、案の定もう一つありました。
それがこれ。曲がり角の内側の端ギリギリ。
予想通りに、さっきのマンホールから道の端を真っ直ぐに進んできた位置にピッタリでした。
同じく『下水 大正5年 』の文字が見えます。

しかし、ここでやっぱり疑問が出てくるのですが、
下水ってそんなに古い時代からあったの?
ちょっと調べたら、京都市の下水道は起工が1930年(昭和5年)、竣工は翌年。
それも千本通の三条から四条の間のエリアを中心に、
それより以南の地域・住民5万人が対象になったようです。
これでは、時代も場所も違っています。
まったく謎の下水なのです。
当時の下水道行政というのも、現代の様に組織で整備されていなかったのでしょう。
京都市以外の国や民間で作られた下水孔ということも考えられますよね。
現在のマンホールに入っている「京都市き章」は,
明治24年(1891年)10月2日に制定されています。
ですが、大正5年のマンホールにはその”き章”が入っていません。
これは、京都市が携わった下水道工事ではなかったからではないでしょうか。
とにかく、まだまだ謎だらけなのです。
この他に、大正2年・大正6年・大正9年・大正12年という、
マンホールのお化けたちが、まだ以前にはあったという情報があって、
確認してみることにしました。
ただ、大正2年は高校時代の友達も確認できなかったようで、
もう無くなっている様だというコメントを残してくれていました。
で、結局見つかったのが、これでした。
なんや、普通のマンホールやん!と思いきや、真ん中の"き章"のところを、よーく見てください。
『大正12年4月』という銘が入っているのです。

その部分の拡大画像です。
ねっ!見えるでしょ。
もちろん、右から左へ読んで下さいね。
昔は、右から左へ書いたんです。

大正5年マンホールの時と同じ理屈で、水路の筋に沿って進むことにしました。
すると、怪しきマンホールの影が見えてきました。
もしや?

やっぱりありました。
同じ『大正12年4月』の銘が。
さらに道筋を狙って探索してみましたが、もう無いようでした。


結局、大正2年・大正6年・大正9年は見つけることができませんでした。
盤面の模様としては、
大正12年型は、見ていただいたように現行のタイプとほぼ同じものになっています。
しかし、大正9年型は、大正5年の柄に中央に京都市き章が入ってきたデザインになってきます。
大正6年型は、大正5年と同じ模様です。
では、大正2年型はどんな模様なのかというと、
大正5年型とよく似ていますが、正方形突起と穴の数がもっと少ないのです。
文字は『下水人孔 大正2年』。
大正5年型は、穴が26個。対して、大正2年型は、穴が12個。
これは、滑り防止のためにデザインが改良されたのではないかと思います。
それで、もう今日は帰ろうと帰途に着いた道筋で、
何とも変な、のっぺら坊のマンホールがあったのです。

これは、摩滅でこうなったことは明らかなのですが、
僅かに残る突起の形状が、正方形の痕跡が見えるのです。
えっ?まさか!と思い、穴の数を数えると、これが12個。
文字までは判読不可能ですが、大正2年型と同形状のマンホールと判断しました。
年号は2年なのか、それよりも古いか新しいかわかりませんが、
おそらく、大正2年と同時期のもののようです。
パッと見、同じように見えて、
よーく観察してみると、穴の数が違ったり、京都市き章の形が違ったり、
色々ありますね。きっと年式が違うんでしょう。
鋳造時の品質が悪いのか、摩滅というより崩れてしまっているものがあります。








今回のマンホール探索でわかったのは、年代が古いほど穴のサイズが大きいことです。
それと、御影石の縁石が少なくなってきていることです。
おまけです。
道端の水路蓋の変り種?かな。


ふと思い出して探索を行ってみました。
これは、マンホール研究家の林丈二さんによって昭和61年に発見され、
当時「芸術新潮」ででも紹介されたとのことでした。
いとも簡単に、見つけてしまいましたが、これは感動しました!
『下水 大正5年』の文字がはっきりと読めます。
こんなマンホールがあるんですね。

右斜め上に見えるのが、現在の下水マンホール。
結構、位置が道の端にあって、穴の中を見たら、完全に水路は落ち葉や土で埋まっていて、
竪穴のみで、明らかに水路としては使われていないようでした。
マンホールだけが奇跡的に残っているようです。

でも、下水路があったということは、
その下水路沿いにまだ大正マンホールが残っているのでは、と思い、
先に進んでみると、案の定もう一つありました。
それがこれ。曲がり角の内側の端ギリギリ。
予想通りに、さっきのマンホールから道の端を真っ直ぐに進んできた位置にピッタリでした。
同じく『下水 大正5年 』の文字が見えます。

しかし、ここでやっぱり疑問が出てくるのですが、
下水ってそんなに古い時代からあったの?
ちょっと調べたら、京都市の下水道は起工が1930年(昭和5年)、竣工は翌年。
それも千本通の三条から四条の間のエリアを中心に、
それより以南の地域・住民5万人が対象になったようです。
これでは、時代も場所も違っています。
まったく謎の下水なのです。
当時の下水道行政というのも、現代の様に組織で整備されていなかったのでしょう。
京都市以外の国や民間で作られた下水孔ということも考えられますよね。
現在のマンホールに入っている「京都市き章」は,
明治24年(1891年)10月2日に制定されています。
ですが、大正5年のマンホールにはその”き章”が入っていません。
これは、京都市が携わった下水道工事ではなかったからではないでしょうか。
とにかく、まだまだ謎だらけなのです。
この他に、大正2年・大正6年・大正9年・大正12年という、
マンホールのお化けたちが、まだ以前にはあったという情報があって、
確認してみることにしました。
ただ、大正2年は高校時代の友達も確認できなかったようで、
もう無くなっている様だというコメントを残してくれていました。
で、結局見つかったのが、これでした。
なんや、普通のマンホールやん!と思いきや、真ん中の"き章"のところを、よーく見てください。
『大正12年4月』という銘が入っているのです。

その部分の拡大画像です。
ねっ!見えるでしょ。
もちろん、右から左へ読んで下さいね。
昔は、右から左へ書いたんです。

大正5年マンホールの時と同じ理屈で、水路の筋に沿って進むことにしました。
すると、怪しきマンホールの影が見えてきました。
もしや?

やっぱりありました。
同じ『大正12年4月』の銘が。
さらに道筋を狙って探索してみましたが、もう無いようでした。


結局、大正2年・大正6年・大正9年は見つけることができませんでした。
盤面の模様としては、
大正12年型は、見ていただいたように現行のタイプとほぼ同じものになっています。
しかし、大正9年型は、大正5年の柄に中央に京都市き章が入ってきたデザインになってきます。
大正6年型は、大正5年と同じ模様です。
では、大正2年型はどんな模様なのかというと、
大正5年型とよく似ていますが、正方形突起と穴の数がもっと少ないのです。
文字は『下水人孔 大正2年』。
大正5年型は、穴が26個。対して、大正2年型は、穴が12個。
これは、滑り防止のためにデザインが改良されたのではないかと思います。
それで、もう今日は帰ろうと帰途に着いた道筋で、
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僅かに残る突起の形状が、正方形の痕跡が見えるのです。
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タグ :マンホール
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深みに嵌らないよう、私はまだマンホールには”入らない”でおこうと思っています。
でも、今回の発見で、ちょっとばかり入ってしまいましたが。
確かに京都市上下水道局のHPでは、昭和6年からとなっていますね。
なのに大正の年号で、しかも京都市のき章入りとは謎!
身の回りの資料を見渡してみたところ、一応明治27年には下水道の建設の必要性が府会で決議され、京都市の着手はやはり昭和5年とありました。
そして、興味深いのが京都市の”三大事業”のときです。明治40年予算成立、大正2年工事終了とありますが、こお三大事業立案のときに、上水道か下水道かどちらを優先させるかがかなり論議になり、結局、上水道を先にと決まったようです。
その背景には伝染病の防止があったようです。
ということで、何も結論は得られなかったのですが、少なくとも明治の末から下水道の必要性は大いに唱えられていたわけであり、一応三大事業も一段落したところで、もしかしたら調査を兼ねた下水道の”試作”だったのでしょうか?
それとも例えば御所の近くであるとか、地域的に個別に対応しなくてはならなかったところとか。
このテーマも今後、念頭に置いておきますね。
shimo-chanさん、私も同感なのですが。
ここに入ると、上と下と同時に見ながら歩いてられないですから。
一度やってみたんですが、普段は自転車で走ってるもんですから、
注意散漫になってしまって、危なくて走ってられませんでした。
>その背景には伝染病の防止があったようです。
ご指摘のように、コレラの流行が恐れられていたようで、
上下水道の建設は、近代都市として急務というのが唱えられていたようですね。
大正マンホールは、やっぱり三大事業にかかわりがあるような予感がしますよね。
疏水・市電あたりが・・・
下鴨を流れる疏水分流の一条小川とか云々、
市街道路拡張に関連する土木工事とか云々、
時代的に、このあたりが臭いような感じがしてるんですが。
京都市下水道の昭和6年竣工も、一般家庭向けではなく、会社・銀行・旅館などの事業向けが中心だったようです。
それに、水洗便所は昭和9年3月に吉祥院下水処理場が完成してかららしいです。
ところで「下水 大正5年」マンホール蓋の件ですが 磨耗の少ない方が、2011年5月2日 無くなっていることを確認しました
2008年3月27日に確認して以来 見に行っていませんでしたが・・・
大正2年のように行方不明になっていなければいいのですが
関係ないかも分かりませんが一応、京都市下水局に問い合わせねばいけませんね
それから例の「のっぺらぼうのマンホール」確認しました
位置データチェックしました 間違いなく大正2年の時代のものでしょうね 保存した方がいいのか 現役のままのほうがいいのか どうでしょうか?
石で囲まれたマンホールを見つけると確認するくせが付いてしまって
仁丹看板は探す・マンホールは探す
自分も自転車ですが危険ですね(笑)
あっ「私の蓋」も結構集まりました
またいろいろ教えてください
遠路はるばる、懲りない探索行にまたお出でになったんですね。
マンホール消滅情報ありがとうございます。
今出川通に近い方が無くなったという事ですね。
耐久年数を考えて、随時新しいものに交換されてゆくらいいので、いままで残っていたのが奇跡的なのです。
京都近代化の歴史遺産ですから、廃棄だけは免れてほしいものです。
”のっぺらぼう”も見てこられましたか。さすがに、好きですね~ぇ。間違いないでしょ!あの形状からして大正二年のものです。御所北の大正五年の下水管は死んでいますが、この大正二年らしきマンホールの地下の下水管は現役です。
画像が画像だけにブログにはアップしませんでしたが、穴に当ててカメラ撮影したら、紫色した染料の排水らしき水が勢い良く流れていました。
それでは、くれぐれも、上下広角の魚眼走行だけは気をつけて走って下さいね。
京都市 上下水道局に問合せのメールを送ったところ
本日 京都市 上下水道局から電話をいただきました
内容は「大正五年 下水」の蓋は平成22年12月
ガタツキが発生したために
取り除いたとのことでした
蓋を取替えガタツキ防止するのではなく
使用していない下水道なので廃止ですね
(アスファルトで蓋がされていました)
五年の蓋は「たいへん貴重な蓋なのでセンターで
保管してある」とのことでした。
今後は、展示の予定もあるそうです
まずは 安心ですね 以上お知らせまで
保管されているとのこと、ほっとひと安心です。
以前に無くなった大正二年のマンホールも保存されていたらいいのですが。
あのツルツル大正二年では、もう一つ有り難味に欠けますのでね。
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