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CATEGORY:祠堂を訪ねて

2011年02月24日

下白山町・白山宮のお火焚祭

もう去年の話になってしまったが、
11月23日の祝日、
麩屋町通三条上ル下白山町の 『白山宮・お火焚祭』 に出させていただく機会を得た。


白山神社といえば、麩屋町通押小路下ル上白山町のお宮さんはよく知られている。
近くで生まれ育った私も、”はくさんさん”と呼んで親しんできた。
御霊さんのお祭りが春で、白山さんが秋。
そのあとにグンと遅れて11月に、二条の薬問屋街・薬祖神祠の薬まつりが楽しみだった。
ちゃんと夜店も出て、子供には居ても立ってもいられない、なかなかの大イベントであった。


さて、下白山町の白山宮に話を戻そう。
この白山宮は、その思い出の白山神社ではない。
麩屋町通は昔、白山通とも呼ばれていた。
その麩屋町に沿って、押小路から三条までの3ヶ町に、"白山"の名を付すお町内が並んでいる。
押小路を下ったところから順番に南へ、上白山町・中白山町・下白山町という。

その謂れは、今から800年以上昔、時代でいうと平安末期の安元三(1177)年まで遡る。
ことの大筋は、山門(比叡山延暦寺)の大衆が、三基の神輿を舁いて朝廷へ強訴に及んだが、
内裏を警護する平家の武力の前にあえなく敗れ去り、
神輿を京の都に放置したまま、這う這うの体で逃げ帰ってしまった、というものである。
強訴といえば、延暦寺に非がある様にも映ってしまうのだが、
強訴に至る理由も様々で、この場合は加賀の地方長官一族による悪政・乱暴狼藉が、この事件の発端となっている。
その事件の一部始終は、平家物語の巻第一「俊寛沙汰 鵜川軍」・「願立」・「御輿振」・「内裏炎上」と、
巻を通じて語り通されている。

詳しくは、後述に譲るとして、
その神輿三基については、この地に祀られることとなり、
今日まで、地元によって篤く信仰されることとなった。
現在の三社だが、まず一社は、冒頭にお話した思い出の上白山町の白山神社で、
二社目が、今回ご紹介する下白山町の白山宮である。
三社目の中白山町の白山宮だが、以前に八坂神社に遷座してしまって、中白山町にはない。
下白山町・白山宮をお守りされている方に伺ったところでは、
中白山町に祀られていた当時は、俵屋さんの敷地内に鎮座していたとのことである。
しかし、建物を普請するに際して、社地を確保することが難しくなり、
中白山町の白山宮は、八坂神社へ遷座することとなった。
さらに伺った情報では、その後、八坂神社から別の地へ、再び遷座したらしいのだが、
現在、その消息が分からなくなっているので、継続調査中とのことであった。


前置きが長くなってしまったが、
いよいよ、タイトルに上げた下白山町の白山宮・お火焚祭を見ることにしよう。

これが、下白山町の奥深くに祀られている白山宮である。
覆屋に守られて、二社並んだ右の社祠が白山宮で、
左のひと回り小さな社は、確か猿田彦命を祀っていると、お聞きしたと記憶している。
いつもは、メモに書き記しておくのだが、興奮していたのか、不覚にもメモを残していなかった。


今尚、お町内の方々によって、お宮さんは静かに護られている。
洛中洛外の大社ならともかく、一町内の奥にひっそりと祀られている小祠が、
幾多の戦乱や大火に遭い、社殿は幾度となく焼け落ちながら、
その度ごとに社祠は再建され、今日も祀られ続けている。
その事実は、驚きに値する。
利益と効率が最優先という軽薄短小な現代にあって、まさに本物を見た思いがした。
京都の町が、京都である由縁が、そこにあった。
観光客を数十万人も集める祇園祭も京都なら、地元の町内だけで祀られる白山宮も京都なのだ。
普段は入ることはできないが、この祭日に合わせてご案内いただき、
参拝させていただくことができたのは、ほんとうに幸運であった。





向かって右側、口を開けた阿形の方が獅子とのこと。
口の中に玉石が入っていた。

台石の裏側をのぞくと銘が残されている。
「獻 明治十六年九月吉??」 最後の二文字が読めなかった。


こちらは吽形の狛犬。

やはり、台石の裏側に寄進者の銘が残されている。
「有志中 発起 田村宗兵衛  大阪 松本喜八」

この左右一対の獅子・狛犬だが、
本体と台石の石種が異なるので、奉納された時代が違うかもしれない。
台座に対してお獅子・狛犬が小さいようにも見える。



社務所では、祭壇に御供えする御神饌の準備が進められていた。
これらお三方さんは、昭和41年に新調の銘が見える。


普段は掛けずに済ますところを、私がお伺いしたので、折角だからと軸を掛けていただけた。
そのご好意のお陰で、しっかりと撮影させていただくことができた。




この御染毫が、冒頭に上げた御神号として彫られたものである。


軸の下半分を見てみると、添書として、白山宮神額となっている。
日付が、天明八年十一月廿三日となっていることから、
あの天明八年一月三十の未明、鴨川の東・宮川町団栗から出火し、
京都市街の8割以上を焼いた”天明の大火”の年であることがわかる。
大火に被災し、焼失した社祠を再建するに当たり、その御染毫を賜ったその経緯が書かれている様だ。
”閑院彈正尹宮”とあって、1788年に御宝齢三十二となっているので、
おそらく、閑院宮・三代 美仁(はるひと)親王のことの様に思われる。

さらに、焼失する以前の御神額は、法鏡寺宮の御染毫であったことが書かれている。
★天明の大火の焼失範囲 ⇒ http://www.bunkaisan.or.jp/img/tenmeitaika.p.gif





そうこうしている内に、社務所で調えられた御神饌が祭壇に並べられはじめた。



白山宮の傍らに植わっている榊に実が生っている。
榊は、この季節に実をつけるとは知らなかった。



町内の方々から集まった祈祷木を、一本一本積み上げていく。
これで、お火焚祭の準備が整った。



順番に、手水で手を清めていく。



町内の方々が参列され、いよいよお火焚祭りが始まる。



神職を務められているのは日向大神宮の宮司様である。
以前より、このお町内とのお付き合いがあり、この白山宮のお祭りにお出でになるとのことであった。



一人ずつ順番に玉串を奉奠。私はカメラマンに徹しようかと思っていたところ、
是非あなたも・・・と声を掛けていただき、最後に捧げさせていただくことができた。



祈祷木に火をつける。




しばらく、一同沈黙のまま、静かに火が燃えるのを眺めていた。
一人で沈黙はいくらでもあるけれど、大勢で静かに火が燃えるのを眺めていた。
それは僅かな時間だったが、とても心の静まる、ちょっと懐かしさを覚える時間であった。


最後にお待ちかねの、みかんを火の中に入れる。
みかんの皮が焼ける。懐かしい匂いである。
昔、火鉢に当たりもってみかんを食べた時、みかんの薄皮を燃やした思い出とが甦ってきた。


このあと、お火焚饅頭や御供えのお下がりを袋にいっぱいいただき、心温かに帰路に着いた。





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Posted by ずんずん  at 13:39 │Comments(0)祠堂を訪ねて

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