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CATEGORY:森下仁丹看板

2007年12月22日

仁丹町名表示板 二条通両替町東入

季節が変われば、見え方も変わるものなのです。

仁丹看板もよく見えるようになることだって、結構あったりするものです。



『上京区(現中京区)二条通両替町東入 東玉屋町』

■2007年6月の撮影
仁丹町名表示板 二条通両替町東入
緑の大きな葉っぱが目隠しをしてくれて、近場からの撮影がダメ状態。


■2007年12月の撮影
仁丹町名表示板 二条通両替町東入

常緑樹のようですが、綺麗に剪定をしてもらって見通しが良くなりました。
お陰で仁丹看板もバッチリです。

仁丹町名表示板 二条通両替町東入



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Posted by ずんずん  at 22:00 │Comments(25)森下仁丹看板

COMMENT
仁丹町名表示板の定点観測、面白いですね!
同じものでも時期によって見え方が違うものがあるとは、思いもよりませんでした。
Posted by てくすけ at 2007年12月24日 21:02
引込仁丹で85%顔を隠しているのん
見つけました!!
千本寺内の西五辻北町の町名表示板です
字はすべて隠れています。
Posted by ゆりかもめ at 2007年12月24日 22:02
てくすけさん、ご無沙汰してます。
定点観測って、ちょっとカッコ良すぎて恥ずかしいです。
季節変えて再チャレンジしかないかなぁと…
それまで消えるなよ!って、祈りながらです。
Posted by ずんずん at 2007年12月25日 18:32
ゆりかもめさん、むちゃくちゃご無沙汰してます。
ちょっと心配してしまいましたよ、マジで…。
久々の登場も束の間、
また面白い情報ありがとうございます。
探索して、また記事UPしますね!
Posted by ずんずん at 2007年12月25日 18:39
久しぶりにお便りします。鹿ケ谷通りを散歩していました。仁丹を期待したわけではなかったが、そこはそれキョロキョロ視線を漂わせていたら、「南禅寺北ノ坊町 鹿ケ谷通冷泉上ル」に遭遇。みなさんご承知の物件だと思いますが、期待していないところで出会うのは本当にうれしいですね。南禅寺福地町があるのだから、その線の鹿ケ谷にあってもおかしくないですね。
Posted by てくの坊 at 2008年03月06日 15:37
てくの坊さん南禅寺北ノ坊町は知りませんでした。さっそく見に行きました。
その帰りに鹿ヶ谷宮ノ前町と岡崎南御所町の3枚目を見つけて にんまり の春の一日でした。
てくの坊さんありがとうございました。
Posted by ゆりかもめ at 2008年03月17日 21:59
>てくの坊さん
ご返事大変遅くなってしまい、ごめんなさい。
気候もホカホカ、桜もチラホラ。
看板探しながら、お花見にいそいそ出かけてはるんじゃないですか。
「南禅寺北ノ坊町 鹿ケ谷通冷泉上ル」
まだ知らなかったです。
近々鑑賞してきます!
Posted by ずんずん at 2008年03月30日 01:24
>ゆりかもめさん
ごぶさたしてます。
「鹿ヶ谷宮ノ前町」ってあるんですね。
これも、北ノ坊町とあわせて鑑賞したいですね。
近々探索します!
それから、「岡崎南御所町」の3枚目って、
ひょっとして、1階がガレージ状に引っ込んだ、民家の柱に付いてる看板かな?
ゆりかもめさんも、春の日を、探索でそぞろ歩き勤しんでられるようで何よりです。
今日は、消滅看板を見つけてしまいました。
去年の夏、葉桜で撮影が困難だった仁丹看板があったのですが、
今なら花が咲いて、桜と仁丹看板の組み合わせで、
綺麗なワンカットが撮影できるのではと其処に行ってみたら、
ガガ~ン、トタン張りになって看板は無くなっていました。
できるなら、トタン板の下に残ってくれていれば、また再会できるチャンスもあるということで、
消失現場を撮影して帰ってきました。
今日は、ショボンの巻でした。
Posted by ずんずん at 2008年03月30日 01:36
そうそうガレージの引っ込んだ柱に付いてるやつ、古い家ばかり見て歩きをしていると、このようなかたちでだいじにしてもらっているとなんだかありがたいです。
Posted by ゆりかもめ at 2008年04月01日 08:00
私もこの看板を見つけて、撮影させていただく時、
お家の方に一声掛けさせていただいたのですが、
ちょっと誇らしげだったのを覚えています。

それから、”宮ノ前町”、あれは気付きませんでしたね。
必死で坂を(自転車で)登るのに、下向いてるから、見えてなかったんですね。
本当に盲点でした。

また近々、UPします。
Posted by ずんずん at 2008年04月01日 15:43
ずんずんさん

お久し振りです。

さて、先日久し振りに看板探索に出かけたのですが、
「岡崎南御所町」の看板ですが、岡崎通沿いの1枚しか記録していなかったので、出かけてみたのですが、
後、2枚あるらしい様ですが、発見出来ませんでした。
集中力が鈍ったのかしらん?
スミマセンがヒントをお願いします。
ついでに、「岡崎圓勝寺町」の看板を探索してみましたが、発見出来ませんでした。
これも、消滅かな?
Posted by でな桜 at 2010年04月18日 10:47
でな桜さん、ご無沙汰してます。
看板探索を復活されましたか。
これからの季節、仁丹マニアの顔は、きれいに顔面日焼けしますからね。特に5~6月の午前中は、よく焼けることこの上ないですね。

さて、「岡崎南御所町」の看板ですね。
最近チェックしていないので、現存は分かりませんが、三枚のうち二枚は岡崎通沿いで、どちらも、数件離れての並びです。
見つけられた一枚がどちらか分かりませんが、二枚とも分かりやすい町家の2階部分についています。
三枚目は岡崎道の一本東の道で、一階部分がガレージになった民家の奥の鉄骨に付けられています。琺瑯の欠けた部分は補修されて、大切にされていました。
いつもの集中力を出せば、すぐ見つかると思いますよ。

それから、「岡崎圓勝寺町」は2年くらい前に消滅しました。
その町家はそのままですので、看板だけ取り外して保存されているかもしれないですね。

また何かありましたらコメント下さい。
新看板や珍しい看板の情報も宜しく。
Posted by ずんずん at 2010年04月18日 15:07
ずんずんさん

そろそろ、終焉の仁丹の旅ですが、
「岡崎南御所町」の看板ですが、岡崎通沿いの2枚ですが、南側の看板は、民家が京町家風の雑貨店に替わっていて消滅していました。
今から思うと、昨年に探索した時には、既に消滅していました。
もう1枚の民家のガレージの奥にあるであろうと思われる看板は発見出来ませんでした。
ちょっとわからないのですが、入口にドアか何かがあって閉ってたのかな? 
と思ったりもします。

反面、新聞に載っていた仁丹の記事のおかげか、以前コメントした中堂寺西寺町の看板ですが、外壁の修理は終わっていましたが、看板は隣のお寺の外壁に付け替えられていました。やはり、看板の価値をわかっての事だと思います。

それから、「東大路通八坂通下ル玉水町」の看板を発見しました。
久し振りの発見は良いものですね(笑)
Posted by でな桜 at 2010年04月22日 20:49
でな桜さん
>そろそろ、終焉の仁丹の旅ですが、

おぉ、終焉ということは、一巡り?二巡り?いよいよラストアドベンチャーですか。

>「岡崎南御所町」の看板ですが、岡崎通沿いの2枚ですが…

消滅していましたか。
残念ですね。だいぶん前に、北隣の町家が普請しておられたので、気にはしていたんですが。
昔(昭和40年代)は、ここに京漬物の大安さんの倉庫?か何かがあって、大きな字で"大安"と書かれた看板が掛かっていました。動物園に来たときは、いつもその看板が目に飛び込んできたのを思い出します。今から思うと、漬物の原料の聖護院かぶらの集荷をしていた場所かも知れないですね。

>もう1枚の民家のガレージの奥にあるであろうと思われる看板は発見出来ませんでした。

このコメントの上にある2008年3月30日・4月1日付けのコメントの通りです。大切にされていたので、消滅はしていないと思うのです。表からは開け開けのガレージでした。一度、チェックしに行って来ますね。

>中堂寺西寺町の看板ですが…看板は隣のお寺の外壁に付け替えられていました。

嬉しいですね。こういった意識が、京都町並みを生かし続けるスタンダードになってくれればと思います。京都人は見栄っ張りなので、仁丹看板を愛でることができる人は、粋な人として意識されていけば、自ずと残っていくのかも知れないですね。

>それから、「東大路通八坂通下ル玉水町」の看板を発見しました。

素敵なニュースありがとうございます。
早速、岡崎南御所町と合わせチェックチェックっと!

また、報告いたします!
Posted by ずんずん at 2010年04月23日 09:05
>>それから、「東大路通八坂通下ル玉水町」の看板を発見しました。

>素敵なニュースありがとうございます。
>早速、岡崎南御所町と合わせチェックチェックっと!

ご存知かもしれませんが,近くに「月輪町」と「星野町」もあります。
前者はすぐに見つかると思いますが,後者はちょっと難しいかも? 私は,犬も歩けば的に見つけました。
Posted by shimo-chan at 2010年04月27日 22:03
どこに書くべきか迷っていたのですが,またまた仁丹の話題で盛り上がったところで,ここにアップさせていただきます。

先日書店で,ふと手にした岩波ジュニア新書「戦争の中の京都(中西宏次著)」を買いました。ジュニア新書なので私には非常に分かりやすかったばかりではなく,まだまだ京都の知らないことがいっぱいあって,とても勉強になりました。

ところで,この本に仁丹は“じの字”も登場しないのですが,しかしながら,仁丹にとっての非常に重要なことを発見しました。それは金属回収です。

回収対象は「鉄を主たる材料とするもの」ということで,ありとあらゆるものが例示されています。看板類はもちろんのこと,交通標識や宗教上の金属製仏像,鐘楼,さらには建物疎開なる名目で解体された家屋からの釘1本までも供出させられたとのことです。

 それなのに仁丹はなぜ健在でいられたのか? 実は,但し書きに「琺瑯引きのものを除く」とあったのです。琺瑯引きの鉄はリサイクルに何か不都合なことがあったのでしょうかね。

 いずれにせよ,この但し書きのおかげで供出から免れたのではないでしょうか?
Posted by shimo-chan at 2010年04月27日 22:51
shimo-chanさん

「星野町」の看板よく見つけられました。
あの看板は取り直しの旅の途中でアルバム片手に発見しました。
あの看板は、もともと向かいの家の外壁に付いていました。
今は、ぱっと見でわかりにくいかと思います。

あと、近所ではアルバムの現存情報によると「上田町」があります。
ご存知かどうか知りませんが。
Posted by でな桜 at 2010年04月28日 12:33
shimo-chanさん、ご無沙汰してます。

>「東大路通八坂通下ル玉水町」の看板を発見…
安井から五条坂まで、盲点でした。完全に抜け落ちてました(汗)
キョロキョロよそ見しながら自転車で走りやすい道ばかり行ってると、こんなことになってしまうのでしょう。
でな桜さんに言ってもらわなかったら、知らんまんまだったのではないかと。

>近くに「月輪町」と「星野町」もあります。

ありがとうございます。
自転車でチャリチャリ走って以前に確認した記憶があるのですが、月輪町は西面で 星野町は月輪町の道の一筋違いくらいで東面に付いてたかな?
撮ったデータも見ずに記憶だけで書いているので、全然トンチンカンかもしれないですけど。

> 先日書店で…「戦争の中の京都(中西宏次著)」を買いました。
> それは金属回収です…仁丹はなぜ健在でいられたのか?実は,但し書きに「琺瑯引きのものを除く」とあったのです…この但し書きのおかげで供出から免れたのでは…

恐らくそうでしょうね。興味深いお話です。
琺瑯引きが、金属リサイクル時にどう不都合なのか、そこのところはわからないですが、こういったことは歴史書などには書かれていないことが多く、これは当時のことを伝える貴重な情報ですね。
私は、小学校の創立記念誌や、地区の談話誌などによく目を通すのですが、それぞれ古老の昔語りが寄稿されていて、思いもよらないことが書かれています。
最近では、終戦間際の御池や堀川の強制撤去のときのバタバタの様子など。御所八幡が、撤去の空き地(現:御池通りのド真ん中)にポツンと終戦後もしばらく社殿むき出しで建っていたとか…。
まさに、事実は奇なりです。目から鱗です。
しかし、また何故「琺瑯引きのものを除く」なんでしょうね。
琺瑯は、材料的にリサイクルが難しいのか、政治的な力が働いて琺瑯看板は免除されたのか。
でも、琺瑯"引き"とあるので、看板に限ったことではなくて、琺瑯の鍋や食器類・医療器具なども入ってくるので、やっぱり、材料的にガラス部分の除去が難しかったのかな?
新たな疑問がでてきました。また調べてみますね。
Posted by ずんずん at 2010年04月28日 13:16
でな桜さん

残りの一枚の「岡崎南御所町」看板は確認してきました。
確かに、無くなっていました。
というか、お家ごと無くなってましたね。
正確なお家の場所は、もう限定できませんでした。
空き地になっていたところか、大きな敷地で新しく建てられたところかのどちらかですね。
いつもなら、引いたアングルで建物の全景も必ず撮るのですが、
その看板の撮影時は、お家のご主人が出て来られて会話をしたので忘れてしまったようです。
とにかく、「岡崎南御所町」の街頭に設置されているのは、残一枚ということがわかりました。
Posted by ずんずん at 2010年04月28日 15:07
ずんずんさん

やはり、「岡崎南御所町」の看板は消滅していましたか。
いくら、集中しても無かったわけですね。

さて、先日そろそろ終焉の仁丹の旅とコメントしましたが、
まだ、大津の看板の撮り直しの旅が終わっていませんでした。
なので、看板はもう少し先のようですね。
大津の看板で少し気になる看板があるのですが、それは「急救看護」の看板です。
ネットでも画像が出てないので、少し気になりますが…

ずんずんさんならば、大津の看板は詳しいと思いますが(笑)
Posted by でな桜 at 2010年04月29日 17:59
>終戦間際の御池や堀川の強制撤去のときのバタバタの様子など。

先の「戦争のなかの京都」で初めて知ったのですが,”堀川京極”ってあったのですね。
当時,演芸場や映画館,銀行などもあって京都屈指の繁華街だったそうです。
それが,堀川通りの建物疎開ですべて消えてしまったと。

また同じく堀川通りの建物疎開で,「堀川下之町」も消滅したとか。
なるほど,地図を見ると堀川下之町は完全に堀川通りに飲み込まれています。
この時の仁丹,どこかに保管されていたらすごいことですね。
Posted by shimo-chan at 2010年04月30日 16:14
このごろの仁丹看板の消えようはすさまじすぎてやる気をなくしていました。

そんな所、大阪の猪飼野中2丁目という仁丹表示板を連休の初日に探しに行きました。大阪は京都と違って住所が変わっているので、古い地図を買って猪飼野中2丁目をくまなく探しどこにもない。あきらめてタバコ屋で、もしかして知っているかも知れないと看板の写真を見せたところ、「これ弟の家や」と聞いた時には我が耳を疑いました。

猪飼野中2丁目にないはずで、弟さんは古いものが好きで自分の家のおもてに掲げたんだそうです。
人騒がせな看板!!でも見つけてルンルンな連休初日でした。

今日は、「星野町」を探しに行きました。
ほんとにありました。皆さんありがとうございました。他に本町八丁目と西東町を新たに見つけ、今日で800枚の大台に乗りました。
2004年からですのでもう見られない看板も多数あると思います。それが残念でなりません。
Posted by ゆりかもめ at 2010年05月03日 22:22
でな桜さん
ご返事遅くなってしまい失礼しました。

>大津の看板で…「急救看護」の看板…

私が知っている大津の仁丹看板は、全部で8枚です。その中に「急救看護」があったかな。一番詳しいのは、ゆりかもめさんなんだけど。「急救看護」のことをコメントしてくれたのも、ゆりかもめさんだったかと。取りあえず、知っている8枚チェックしてみますね。
もし、ゆりかもめさん見てたら、探す楽しみ残してヒント下さい!
Posted by ずんずん at 2010年05月11日 19:47
shimo-chanさん、ご返事遅くなってしまい失礼しました。

>先の「戦争のなかの京都」で初めて知ったのですが,”堀川京極”ってあったのですね。

僕もその盛況振りを古い写真で見たことあります。ここの学区の記念誌だったかな?京都歴史資料館の閲覧室で見ました。間違ってたらごめんなさい。おぼろげな記憶では、堀川に掛かる中立売の橋を西に渡ると、すぐに南に下がれる通りがあって、それが堀川京極だったような…
今の堀川通西側の商店街は、強制疎開で立ち退きに遭った方たちが、戦後に元の地で復活した堀川京極の名残なのかな?

>堀川下之町は完全に堀川通りに飲み込まれています。

家が建っていて、人の暮らしがあった頃のことに、思いを馳せますなぁ。
Posted by ずんずん at 2010年05月11日 20:20
ゆりかもめさん
ご無沙汰しています。ご返事遅くなってしまい失礼しました。

>このごろの仁丹看板の消えようはすさまじすぎて…

確かにすさまじいです。看板だけが消えるというのではなくて、町家がどんどん潰されていますよね。

>大阪の猪飼野中2丁目という仁丹表示板を…

最近は大阪へ行ってはったんですね。以前にゆりかもめさんに教えてもらいましたが、大阪も空襲でやられなかった周辺は残っているようですね。以前にWeb上で、奈良の仁丹看板も見たことがあります。

>猪飼野中2丁目をくまなく探しどこにもない。あきらめてタバコ屋で、もしかして知っているかも知れないと看板の写真を見せたところ…

ゆりかもめさんも長い仁丹の旅の中で実感したはると思うんですけど、こういう出会いって奇跡の様で意外にあるんですよね。まったく不思議な出会いです。

>本町八丁目と西東町を新たに見つけ…

西東町は木製のある西東町ですか。ゆりかもめさんの知らない様な見つけにくい看板を見つけましたか。本町八丁目も未チェックだったかも。
また教えて下さい。
Posted by ずんずん at 2010年05月12日 09:08
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