CATEGORY:森下仁丹看板
2006年09月01日
仁丹町名表示板 修学院川尻町
●左京区修学院川尻町
以前に、ゆりかもめさんに教えていただいた、最東端の仁丹町名表示板を見つけました。
旧愛宕郡修学院村が、京都市左京区に編入されたのが昭和6(1931)年ですので、
それ以降の設置ということのようです。
旧京都市域(現在の上中下京区)では昭和4年迄に設置されていましたが、
そのあとに、周辺地域の京都市域まで設置エリアを広げていったのでしょう。


この旧愛宕郡修学院村が左京区に編入されたとき、
同じ愛宕郡の松ヶ崎村も一緒に京都市に編入されています。
その後、左京区への編入は,
昭和24(1949)年の岩倉村,八瀬村,大原村,静市野村,鞍馬村,花脊村,久多村
の7ヶ村編入まで時代が下ってしまいます。
左京区での仁丹看板・最北端は、山端森本町・修学院川尻町の予感がしてきました。
あと、松ヶ崎にも見つかるかどうかです。
以前に、ゆりかもめさんに教えていただいた、最東端の仁丹町名表示板を見つけました。
旧愛宕郡修学院村が、京都市左京区に編入されたのが昭和6(1931)年ですので、
それ以降の設置ということのようです。
旧京都市域(現在の上中下京区)では昭和4年迄に設置されていましたが、
そのあとに、周辺地域の京都市域まで設置エリアを広げていったのでしょう。


この旧愛宕郡修学院村が左京区に編入されたとき、
同じ愛宕郡の松ヶ崎村も一緒に京都市に編入されています。
その後、左京区への編入は,
昭和24(1949)年の岩倉村,八瀬村,大原村,静市野村,鞍馬村,花脊村,久多村
の7ヶ村編入まで時代が下ってしまいます。
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あと、松ヶ崎にも見つかるかどうかです。
平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
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いつも更新を楽しみにしています。
写真のきれいさに驚いています。
デジカメですか?どんなとり方で撮っておられるんですか。
「左京区山端川岸町」も早速当ってみます。
この看板の性格上、高所や軒下の薄暗い所にあって、
どうしても撮影時に逆光になったり、
物陰できっちり撮れなかったり、
困ることが多いですよね。
撮影の方法ですが、もちろんデジカメです。
あんまり高級機ではないですが、
一応12倍までのズームが付いています。
撮影の時に気を付けているのは、
・逆光なら必ずフラッシュを使う。
(写真としたら自然光の方が断然綺麗ですが、やむをえず。。。)
・看板が明るい部分と暗い部分に跨っている時、
露出補正機能とフラッシュの同時使用で乗り切っています。
・撮影後、画像編集ソフトで色調やコントラストを調整しています。
撮るだけは相当撮りましたが、
特に、西と南は未開拓です。
また、撮っていきますので、よろしくお願いします。