CATEGORY:森下仁丹看板
2006年09月27日
仁丹町名表示板 嵯峨野神ノ木町
西に進出記念、一枚発見!
ほんと偶然見つけてしまいました。探すつもりなら絶対見つけられていないでしょう。
暫定、最西端に仁丹看板です。

この神ノ木町の由来が、どうも町内にある神ノ木弁財天に由来しているようです。
その神ノ木弁財天の名称は、さらに境内に生えている樹齢300年を越える大木の
「神ノ木」→「榎(エノキ)」から来ているようです。



実は、神ノ木弁財天のスグ前は、嵐電(京福電車嵐山線)の線路なのです。レトロな電車が、
とことこ走っているのです。

平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
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これが最西端ということですが
私は、秋街道町かな?と思うんですが
いかがなものでございましょう。
これが最西端ということですが
私は、秋街道町かな?と思うんですが
いかがなものでございましょう。
なかなか西に行く機会がないのですが、ぜひ機会を見つけて、当ってみたいと思います。
でも、西には大体この辺りが限度なんでしょうかね?
この仁丹看板の付いていた建物が取り壊されて残っていないのか、初めから設置エリアの候補として、嵯峨野地区以西は除かれていたのか?
この神ノ木町の看板も、もともと付いていた建物は既に無く、フェンスに付けられて残っているという現状です。そこから考えると、その多くの建物は、人の住む人家ではなく、納屋など通常は人か住んでいない建物への設置が多かったのか?
ますます疑問がわいてくる今日この頃です。
右京区の文字。
仁丹将軍を拝ましてもらおうと
しましたがツル性植物に邪魔されて
拝めず。
まあいいか・・・・
コメントありがとうございます。
行って来られたんですね。
でも、見当たりませんでしたか。
僕がUPしてから取られていないでしょうね。
ちょい心配…
場所は、あの弁天さんの入口の数メートル西。
嵐電のネット柵に付いているのですが。
下の仁丹将軍が少しだけみえました。
ツル性植物というのは、あのプランターに植わっている、
たぶん、藤じゃないかな?
5ヶ月たって繁茂したのか、見えなくなっていましたか。
僕が通ったのがこの時期なら、見逃してますね。