CATEGORY:森下仁丹看板
2008年08月25日
仁丹町名表示板 上京區鹿ケ谷宮ノ前町
この仁丹看板【上京區鹿ケ谷宮ノ前町】も、普段通っているにもかかわらず、
”ゆりかもめさん”に教えてもらうまで気付かずにいたのです。
見晴らしのいいところで、すぐに気が付きそうなのに、
何故今まで見つからなかったのか、よーく考えてわかったのは、
ここを通る時、若干きつめの上り坂が続くので、
視線を下げてペダルを無心に漕いでいた為と判明しました。
逆に下りの時は、ブラインドになって見えないのです。

ところで、この看板が付いている場所は、「鹿ケ谷下宮ノ前町」で、
表記とは異なっているのです。
「鹿ケ谷宮ノ前町」「鹿ケ谷上宮ノ前町」「鹿ケ谷下宮ノ前町」の三ヶ町があり、
昭和初期の頃は、鹿ケ谷宮ノ前町一ヶ町だったのでしょうか?
”ゆりかもめさん”に教えてもらうまで気付かずにいたのです。
見晴らしのいいところで、すぐに気が付きそうなのに、
何故今まで見つからなかったのか、よーく考えてわかったのは、
ここを通る時、若干きつめの上り坂が続くので、
視線を下げてペダルを無心に漕いでいた為と判明しました。
逆に下りの時は、ブラインドになって見えないのです。

ところで、この看板が付いている場所は、「鹿ケ谷下宮ノ前町」で、
表記とは異なっているのです。
「鹿ケ谷宮ノ前町」「鹿ケ谷上宮ノ前町」「鹿ケ谷下宮ノ前町」の三ヶ町があり、
昭和初期の頃は、鹿ケ谷宮ノ前町一ヶ町だったのでしょうか?
平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
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(ひょっとして、愚華さんかな?違ったてら、ごめんなさい)
コメントありがとうございます。
「鹿ケ谷」は仁丹看板がありそうですが、
それがなかなか無いところですね。
もともとそんなに家が建て込んでいたわけではないですからね。
近くには岡崎神社(東天王)がありますが、
この町名の”宮ノ前”というのは、
鹿ケ谷の氏神様の「大豊神社」のことになります。
最近では、鼠の狛犬で有名になってますね。
意外にもわりと最近のことだったのですね。
このとき同時に、「鹿ケ谷西寺ノ前町」が「鹿ケ谷寺ノ前町」から、「永観堂西町」が「永観堂町」からそれぞれ誕生しています。
さらにもうひとつ「岡崎東天王町」が「岡崎天王町」からと言いたいところですが、これだけは逆に「岡崎天王町」が「岡崎東天王町」から分かれています。
けっこう新しい時期に町分離が行われていたんですね。
勘なんですが、この昭和33年頃って、白川通りに市電が開通した頃じゃなかったですかね。
違うかな?
それで急激な市街地化が進んで、町区域を分割整備したのかな。
おもしろい情報ですね。
それから、shimo-chanさんも知ってられるんじゃないかと思いますが、
「東天王町」は、もともと”東天王”が岡崎神社のことを指していて、
そこから、そういう町名が出来ているので、
町の位置関係の東西南北とはまったく意味がちがってくると思うんです。
それからすると、”天王町”の名称は、
ある意味ナンセンスという感じもありますよ。
因みに、”西天王”は須賀神社ですよね。
今の社地(聖護院円頓美町)は、もともと御旅所だったとされていますが、
須賀神社の旧鎮座地は、岡崎西天王町・平安神宮の蒼龍楼の東北にあって、
そこに西天王塚という方墳が現存しています。
なんと陵墓参考地になってるんです。
だから、この西天王町はそれにまた意味がありますよね。
いやあ、ありがとうございます。
ほんの50年ほど前のことを、知る人は以外に少ないでしょうね。
実に面白いですね。
いつも楽しく拝見させてもらっています。遅いコメントで恐縮なのですが、ご存知かも知れませんが、鹿ケ谷には、あと「鹿ケ谷法然院町」があります。
こちらこそ、いつも見ていただいていて、ありがとうございます。
(最近全然更新出来てませんが…)
コメントって、遅くても全然OKです。
とても嬉しいですよ♪
こんな貴重な看板情報も貰えて、嬉しいことだらけです。
早速、「鹿ケ谷法然院町」探索してみますね。ありがとうございます。
銀閣寺から南禅寺のこの辺り、ポツリポツリと残っていますね。
看板虫を目覚めさせる、この奥ゆかしさがたまりません~♪
これからも宜しくお願いします!