CATEGORY:文化・歴史
2008年11月30日
『京都市今昔写真集』の写真展!?
最近気になっている本、『京都市今昔写真集』。
その本の写真展が、ゼストでやっていました。


見ての通りの規模で、点数にしても40点程ですが、
その中に、衝撃の写真を発見しました。
昭和30年7月17日の祗園祭、船鉾の辻回しの写真です。
今まさに、四条通から寺町へ南下しようとしている姿で、
左手のビルが藤井大丸です。

当時は、今と巡行路や巡幸日程も現在とは違っていました。
現在の山鉾巡行7月17日は、もともと前祭といって、長刀鉾~船鉾が巡幸をし、
その一週間後の24日に、後祭といって北観音山~南観音山の9基が巡幸していました。
だから、船鉾が最後尾で、後ろにはもう山は連なっていません。
さらに、前祭が四条から寺町を南下していたのは、この昭和30年迄でした。
その翌年の31年から前祭は寺町を北上して御池を西進するようになります。
それらの点が珍しく、また貴重な写真であるのですが、
私が衝撃を受けたのは、四条通の両側に立っている斎竹(いみたけ)なのです。
斎竹といってピンと来ない方もおられるかもしれませんが、
長刀鉾のお稚児さんが注連縄切りをする、
あの注連縄を張っている竹といえばわかると思います。
以前に聞いていた話ですが、
斎竹は、もともと四条寺町に建てられていたのが、
昭和2年に四条御幸町に、そして太平洋戦争以降の至って近年のある時期に、
現在の四条麩屋町に建てられるようになったらしいのです。
それが、この昭和30年の時点でまだ御幸町通に建っているのが見えているのです。
一人、この写真を見つめながら感動していました。
つまり、四条麩屋町に斎竹が建てるようになったのは、
昭和31年以降ということが明らかになったわけです。
おそらく、この写真集は、まだまだいろんな発見をさせてくれるんだろうと思います。
そのことからも、欲しい一冊ではありますが、やっぱり高い。
※参照 『祇園祭2006 斎竹(いみたけ)建て 7月15日』
その本の写真展が、ゼストでやっていました。


見ての通りの規模で、点数にしても40点程ですが、
その中に、衝撃の写真を発見しました。
昭和30年7月17日の祗園祭、船鉾の辻回しの写真です。
今まさに、四条通から寺町へ南下しようとしている姿で、
左手のビルが藤井大丸です。

当時は、今と巡行路や巡幸日程も現在とは違っていました。
現在の山鉾巡行7月17日は、もともと前祭といって、長刀鉾~船鉾が巡幸をし、
その一週間後の24日に、後祭といって北観音山~南観音山の9基が巡幸していました。
だから、船鉾が最後尾で、後ろにはもう山は連なっていません。
さらに、前祭が四条から寺町を南下していたのは、この昭和30年迄でした。
その翌年の31年から前祭は寺町を北上して御池を西進するようになります。
それらの点が珍しく、また貴重な写真であるのですが、
私が衝撃を受けたのは、四条通の両側に立っている斎竹(いみたけ)なのです。
斎竹といってピンと来ない方もおられるかもしれませんが、
長刀鉾のお稚児さんが注連縄切りをする、
あの注連縄を張っている竹といえばわかると思います。
以前に聞いていた話ですが、
斎竹は、もともと四条寺町に建てられていたのが、
昭和2年に四条御幸町に、そして太平洋戦争以降の至って近年のある時期に、
現在の四条麩屋町に建てられるようになったらしいのです。
それが、この昭和30年の時点でまだ御幸町通に建っているのが見えているのです。
一人、この写真を見つめながら感動していました。
つまり、四条麩屋町に斎竹が建てるようになったのは、
昭和31年以降ということが明らかになったわけです。
おそらく、この写真集は、まだまだいろんな発見をさせてくれるんだろうと思います。
そのことからも、欲しい一冊ではありますが、やっぱり高い。
※参照 『祇園祭2006 斎竹(いみたけ)建て 7月15日』
仏教総合博物館「龍谷ミュージアム」が姿を現す。
「戦争のなかの京都」という本
市電・鉄道・鋼索鉄道~鉄ちゃん御用達本
京都女子大学「祇園社景観の変遷」展に行ってきました。
『京都市今昔写真集』発刊が愉しみ
岡崎・旧武徳殿にて
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